作品情報
制作年 | 2022年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | ルーベン・フライシャー |
出演 | トム・ホランド マーク・ウォールバーグ |
上映時間 | 116分 |
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あらすじ
ネイサン・ドレイク(通称:ネイト)は海洋冒険家フランシス・ドレイクの末裔だが、幼い頃、唯一の肉親である兄のサムと生き別れ、今はNYでバーテンダーとして働いている。
引用元:公式サイト
ボトルを扱うその器用な手さばき、そして類まれなるスリの能力を見込まれ、トレジャーハンターのサリーから50億ドルの財宝を一緒に探さないかとスカウトされる。
信用の置けないサリーだが、消息を絶ったサムの事を知っていたことから、ネイトはトレジャーハンターになることを決意する。
早速、ネイトとサリーはオークションに出品されるゴールドの十字架を手に入れる為、会場に。
この十字架は財宝に辿り着く為の重要な“鍵”で、モンカーダ率いる組織も狙っていた。
オークション会場での争奪戦の末、なんとか十字架を手に入れたネイトとサリーは、500年前に消えたとされる幻の海賊船に誰よりも早く辿り着く。
しかしその海賊船ごと吊り上げられてしまうが――
アメリカ、ヨーロッパ、アジア、世界中を駆け巡り、果たして二人は50億ドルの財宝を手に入れることができるのか?
そしてネイトは兄サムと再会できるのか?トレジャーハンターとしての冒険が始まる。
ソニーの立ち上げた「PlayStation Productions」が製作する人気ゲームの実写映画化第一弾は、全世界シリーズ売上本数4170万本の大人気ゲーム「アンチャーテッド」です。
「アンチャーテッド」というゲームシリーズですが、”プレイする映画“、”シネマティックアクション” などという宣伝で売り出されていたゲームで、往年の冒険活劇映画をゲーム化したようなイメージのアクションアドベンチャーゲームでした。
個人的なイメージでは、この「アンチャーテッド」シリーズはプレイステーション3を代表するタイトルだったように思います。
私はこの「アンチャーテッド」シリーズはリアルタイムで散々遊んだプレイヤーの一人です。
トロフィーコンプとはいきませんでした(難易度プロとかクリアできない)が、ほとんどのトロフィーを獲得するくらいにはやり込んでいました。
今回は、そんな「アンチャーテッド」シリーズのいちファンの口うるさい(そして偏った)感想です。
「こう思ってる人もいるんだなあ」くらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。
ゲームの映画化は難しい
そもそも、ゲームが原作の映画というのは難しい問題です。
映画史においてゲーム原作の映画は歴史が浅く、始まったのは1980年代であるものの一般に広く認識されるようになったのは2001年の「トゥームレイダー」、2002年の「バイオハザード」登場以降かと思います。
「ゲームを映画化する」という文化が無事始まったものの、大ヒットと言える作品は数えるほどしかなく、批評としては基本否定的な評価を下されることが常でした。
(「バイオハザード」シリーズは一定の人気を獲得しており長くシリーズ化されていますが、あれはゲーム映画というより「ポール・W・S・アンダーソン&ミラ・ジョヴォヴィッチ」文脈で見る映画だと思います。)
特に「アサシンクリード」(2016)なんかは個人的に大好きなゲームシリーズだったこともあり、なかなかのトラウマになっています。
しかし近年ではゲームを原作とした映画でも興行的、批評的にも成功する例が出始めています。
「名探偵ピカチュウ」(2019)や「ソニック・ザ・ムービー」(2020)などがそれにあたるでしょう。
成功した要因は様々あるでしょうが、一つには「その原作ゲームが再解釈の余地を多く持っていた」ということがあるかと思います。
原作の冒涜にならないよう一定水準以上の「らしさ」をクリアしていれば、他の要素を大幅に変更、追加や削除をしても、そのゲームが持っていた魅力はそのままに映画として新たな面白い物語を作り上げることができるということです。
例えば「ソニック・ザ・ムービー」で言えば、ソニックのキャラデザインをファンの反応に基づいて一から作り直すほどソニックの造形にこだわったことや、ドクター・エッグマンもといドクター・ロボトニックをジム・キャリーが演じるというナイスキャスティングが「ソニックらしさ」を担保し、ゲームとは全く異なる世界観になっても映画として成功できた要因の一つだと言えるでしょう。
少し話を戻すと、他方でゲームの映画化が厳しくなる場合というのは、再解釈の余地が少ない、つまりそのゲームが物語として、ドラマや世界観があまりにも完成されている場合です。
この場合、そのゲーム「らしさ」を維持したままゲームが作り上げていたドラマや世界観の完成度を超えた、新しい物語を生み出すことは極めて困難です。
まさに私のトラウマである「アサシンクリード」は良い例でしょう。
ここで重要なのは、困難であるがしかしドラマとして原作ゲームの完成度を越えなければ映画としては意味がないということです。
なぜなら、映画という表現手段でゲームが持っていた物語性やドラマ性を越えられないのであればその映画版は見る必要がなく、その原作ゲーム自体をプレイした方が良いからです。
小説の映画化であれば、文字で表現されていた世界が映像化されるというビジュアル的なインパクトを与えることができますが、ゲームはすでに映像表現がなされています。
特に現在のゲームであればグラフィックもハイクオリティで、最新の技術になるともはや実写との区別がつかないほどです。
つまり、今や映画がゲーム以上にビジュアルで与えられるインパクトには限界があります。
では、今回の「アンチャーテッド」はどうでしょうか。
このゲームはまさに物語としてすでに完成されたゲームだと思います。グラフィックのレベルが高いゲームとしても有名でした。
それだけではありません。
このゲームは非常に「映画的」です。
ここで少々結論めいた話になってしまいますが、つまり「アンチャーテッド」というゲームは「再解釈の余地」が少ない、非常に勝算の低い映画化企画なのです。
トレジャーハンター映画として
ここらで少し、いったん冷静になって、ゲームの映画化という枠から少し離れて「トレジャーハンター映画」としての本作と「アンチャーテッド」としての本作とを分けて考えてみたいと思います。
トレジャーハンター映画の系譜
このカテゴライズが正しいのか微妙ですが、本作は古くからある冒険活劇というよりは「インディ・ジョーンズ」シリーズ以降の「トレジャーハンター映画」の系譜に位置する作品でしょう。
「インディ・ジョーンズ」「ハムナプトラ」「トゥームレイダー」「ナショナル・トレジャー」「パイレーツ・オブ・カリビアン」あたりの、純粋にお宝を追いかけるような王道ラインナップの最新シリーズに名を連ねようとしています。
そう考えると、最近ではそのような “王道” トレジャーハンター映画は大作ではあまりないように思うので、アンチャーテッドの映画化するならいいタイミングだったように思います。
「ジュマンジ」(2017)や「ジャングルクルーズ」を入れて良い気もしますが、設定にかなり捻りがあるので王道とはちょっと異なる気がします。
良いポップコーンムービー
本作はポップコーンムービー、つまり「細けぇこたぁいいんだよ」映画としては良い出来だったのではないでしょうか。
「とあるお宝を巡って二つの勢力が争う」「登場人物同士のだまし合い」「とにかく派手なアクション」「お宝を見つけるも結局最後は…」といったお決まりの展開がきっちり用意されており、これらの中で最も大事なアクションについては、昨今のアクション大作(特にワイルド・スピード)と一線を画しているとは言わないまでも、それらと引けを取らないくらいにはバッチリのトンデモアクションをやってくれていたと思います。
でもちょっと言いたいこともある
ついさっき「細けぇこたぁいんだよ」と言っておいてなんですが、ポップコーンムービーとしてもちょっとだけ言いたいことはあります。
いくらなんでも「第一話」感が強すぎではないでしょうか。
ネイトの兄サムの存在やフランシス・ドレイク卿の指輪などの謎はまあいいとして。
本作のメインキャラクターたちの人間関係があまりにも「今後に期待」すぎると思います。
主人公のネイトとサリーは本作の結末でようやくお互いを信頼できるようになり、ここでついにバディが誕生、ここから二人の冒険が始まる的な形で終わります。
ネイトとクロエの関係も、クロエはクライマックスでは退場しているし、結局仲間になれるんだかなれないんだか中途半端なままエンディングを迎え、ここも結局シリーズ化ありきの終わり方です。
「それを言ったらMCUだってそうじゃん」ともなってしまいますが、一つの作品は一つの作品としてもう少しまとめてはくれないものでしょうか。
ドラマの第一話を見せられた気分になってしまいます。
ただし、詳しくは後述しますがこの「第一話」感のある作りはある意味仕方のない選択だったとも思うので、あまり批判するのも申し訳ないのですが。
あとこれはちょっと言い過ぎかもしれませんがクライマックスの空中海賊船バトルについてです。
あれはまさに「パイレーツ・オブ・カリビアン×ワイルド・スピード」といった印象のシークエンスでしたが、海賊船でアクションというと作中でも言及されていたようにどうしても「パイレーツ」の印象が強すぎるので、たとえ空を飛んでいても「パイレーツの方がもっとめちゃくちゃなことしてた気がする…」という感想を抱いてしまうのは否めない部分がありました。
海賊船が空を飛ぶというのも、もはや車で宇宙に飛び出してしまった「ワイスピ」の前ではそれほど目を疑うような光景でもないというのは否定できないでしょう。
「アンチャーテッド」として
正直ここからが本題なのですが、トレジャーハンター映画としてはまあ良いけれども「アンチャーテッド」としてはどうかというお話です。
映画の話に入る前に、軽く原作シリーズのおさらいをさせてください。
ゲームシリーズ「アンチャーテッド」
アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝 (2007)
記念すべき一作目はPS3発売の翌年に登場し、当時としては圧倒的な完成度でゲーマーたちに衝撃を与えました。
フランシス・ドレイク卿の日誌を手に入れた、彼の子孫を名乗るトレジャーハンターのネイサン・ドレイクが黄金郷「エル・ドラド」を求めて冒険を繰り広げるという話でした。
一作目ということでさすがにシステムや操作面で少々難があり、スケールも大作映画というよりはB級映画くらいの規模間のため、本シリーズに全く初めて触れる方が今プレイするには正直厳しい部分があるかもしれません。
アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団 (2009)
二作目は現在でもアンチャーテッドシリーズ最高傑作と言われており、2009年のGame of the Yearを獲得しています。
マルコ・ポーロの日誌の一部から、彼が率いた船団のうちで記録がない13隻の船についての謎、彼らがカギを握る「チンターマニ石」の存在を追ってネイトが冒険を繰り広げるという話でした。
私も本シリーズで最もやり込んだ作品はこれです。
この作品から一気に “プレイする映画” として物語のスケールが巨大になりました。
この作品で今回の映画にも出ていたクロエが初登場します。そしてこのクロエが、将来スピンオフの主人公を任せられるほどの人気キャラとなっていきます。
これからリマスター版を購入してプレイするという方は、二作目からプレイするのもありだと思います。
アンチャーテッド 砂漠に眠るアトランティス (2011)
三作目ではネイトとサリーの出会いが描かれ、過去二作からアクションシーンの特に演出がパワーアップし、ネイトがイーサン・ハントもびっくりなアクションを繰り広げます。
先に見せたいアクションシーンから考えて、その数々の見せ場からストーリーを後付けしていったと製作陣が語っています。
自らの先祖であるというフランシス・ドレイク卿が探していた、砂漠のアトランティスこと伝説上の都市「イラーム・オブ・ザ・ピラーズ」を追ってネイトが冒険を繰り広げるという話でした。
今回の映画にあった、ネイトが輸送機から投げ出される展開はこの作品が元になっています。
個人的にこの3作目が最も難易度が高い(主に戦闘)と思っています。
アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝 (2016)
四作目でネイトを主人公とする物語が完結します。
映画にも登場したネイトの兄サムはここで登場します。
3年前にトレジャーハンターを引退していたネイトだったが、とある事情で再会した兄サムのために海賊王ヘンリー・エイヴリーの財宝を探す冒険に出るという話でした。
この作品は原題が「UNCHARTED 4: A Thief’s End」となっているように、過去三作で行ってきた「とにかくド派手な大冒険とお宝探し」というよりも兄である「サムを救うための冒険」であり、そしてもう40歳近くまで年老いたネイトの引退試合といった趣で、過去3作に熱中してきたプレイヤーはさながら「ロッキー・ザ・ファイナル」、はちょっと褒めすぎなので「ランボー ラスト・ブラッド」を見ている時のような気持ちでプレイします。
アンチャーテッド 古代神の秘宝 (2017)
これはネイトの物語が完結した後のスピンオフ作品です。
この作品は、今回の映画にも登場しているクロエ・フレイザーが主人公となって展開する作品です。
「海賊王と最後の秘宝」から半年後、古代インドの秘宝「ガネーシャの牙」を巡ってクロエがインド内戦を引き起こした軍事組織と争奪戦を繰り広げるという話でした。
元々は追加ダウンロードコンテンツとして開発されたもので、しかも物語にネイトが一切登場しない作品でしたが、これまでの作品でクロエという魅力的なキャラクターを生み出せていたおかげで、アンチャーテッドファンたちの期待を裏切らない作品に仕上がっていました。
今からでも全作プレイ可能!
上記の作品は2015年にPS4で3作目までのリマスター版が発売され、2022年1月にはPS5で全作品を網羅したリマスター版が発売されています。
「アンチャーテッド」シリーズは今プレイしても全く問題なく楽しめる(特に二作目)シリーズなので、トレジャーハンターものの映画が好きな方であればなおさらプレイしてみていただきたいゲームシリーズです。
「アンチャーテッド」の実写化という意味では厳しい
さて、そんなゲームの映画化というのが本作です。
はっきり申し上げて、私は「アンチャーテッド」シリーズとしては不満でした。
そもそも、この映画はどちらかというとゲームシリーズのファンではなくゲームシリーズはプレイしたことがない人々向けに作られています。
ゲームシリーズは「原作」というより「原案」のイメージかと思います。
これはアンチャーテッドを知らない人も見に来るようにネイト役がトム・ホランドであることや、キャラ設定がゲームシリーズから大幅に変更されていることから明らかでしょう。
ただし、仮にも「アンチャーテッド」を名乗るのであればこちらも一言や二言、いや三言や四言くらいは言わせていただきたい。
あとはアンチャーテッドシリーズの魅力を伝えたいという気持ちもあるので、本作が「アンチャーテッド」の映画化としてどこがダメだったのかを敢えてしっかり述べさせていただきます。
原作ゲームシリーズが持っていた魅力はほとんど失われている
本作は「アンチャーテッド」という原作のゲームシリーズにあった魅力がほとんど失われています。
しかしこれは仕方のないことだと思っています。
なぜなら、前半でも触れましたが「アンチャーテッド」シリーズというのは本来映画化に向かない作品だからです。
「アンチャーテッド」というのは、”プレイする映画” という売り文句で宣伝されていたように、ビデオゲームが映画というエンターテインメントを越えようとした、ゲームが映画を相手取って勝負しに行った作品です。
そのため、このゲームは「映画ではできなくてゲームならできること」というものを全力でやりまくっています。
そしてそれこそが「アンチャーテッド」最大の魅力の一つなのです。
つまり「アンチャーテッド」最大の魅力というものは、初めから映像化できない運命にあります。
実際、アンチャーテッドの映画化という企画は2009年から存在しており、脚本のボツや監督の降板などを経て2022年にようやく完成している経緯を考えれば、一目すると簡単そうなイメージとは裏腹に相当難しい企画であったことが窺えます。
「アンチャーテッド」の魅力
では具体的に「アンチャーテッド」シリーズが持っていた魅力とは何だったのか。
大きく3つに分けて述べたいと思います。
トレジャーハンティングとしては超でかいスケール
特に評価が高かった二作目と三作目などでは、ネイトたちが追いかけるのはもはやお宝ではなく「失われた伝説の都市」という規模になっていきます。
また、全作を通して登場する「遺跡」はどれもこれも巨大で、広大な遺跡空間をネイトがよじ登り、飛び回り、パズルを解いてこれまた巨大なギミックが動き出すという流れがこのシリーズの大きな特徴であり非常に楽しい要素です。
つまり映画、特に実写映像では到底実現できない規模のステージを用意することで、映画では得られないスケール感というものをアンチャーテッドは実現しているのです。
そしてこれこそ「アンチャーテッドらしさ」のひとつです。
アクション映画の「見せ場」全部乗せ
先ほど「遺跡」が必ず登場するという話をしましたが、遺跡を探して訪れる舞台としてはあらゆる地域が登場します。アドベンチャー映画の舞台として想定できる地域は大抵登場しています。
ジャングル、市街、都市の地下空間、雪山、海、島、砂漠、洞窟、古代遺跡、古代都市、などなど…
ゲームの一作品の中でもあちこち移動するので、冒険する舞台で飽きることはありません。
また “プレイする映画” と銘打っている通り、何かのアクション映画で見たようなド派手な「見せ場」シーンがとにかく連発されます。
挙げるとキリがありませんが、カーチェイス、カーチェイスしながらの戦闘、列車アクション、離陸しようとする飛行機に飛び乗ってその後墜落、豪華客船の沈没、渡っている橋が崩れる、崩れていく建物内での戦闘と脱出、戦闘ヘリや戦車との戦い、などなど…
とにかく絶体絶命、危機一髪、九死に一生を得るの連発です。
見せ場の一つひとつは何かの映画で見たようなシークエンスですが、アンチャーテッドが映画と異なるのはその量です。
ここでもゲームが全てコンピュータグラフィックであることを活かし、見せ場の量で映画に対抗しています。
これら見せ場の数々は一本の映画で対応できる量ではありません。たとえマイケル・ベイでも厳しいでしょう。
この過剰なまでの「見せ場」全部乗せというのも間違いなく「アンチャーテッド」シリーズの魅力です。
ネイトとサリーという「おっさん」コンビ
個人的に「アンチャーテッド」最大の魅力だと思っているのは、ネイトとサリーをはじめとするいうキャラクターたちです。
主人公であるネイトは、お宝そのものよりも冒険自体に興奮している節のある根っからの冒険家です。
しかしそれ以上に、皮肉とユーモアに溢れたちょっとくたびれ気味のおっさんなのです。
東地宏樹さんの素晴らしい吹き替えも相まって、まさに愛すべきキャラクターに仕上がっています。
足場や建物が崩れ始めると「これはいい兆候じゃない」「ああ最高」なんて言いながら走るし、敵にグレネードを投げ込まれれば「やべやべやべ!」と言って焦るし、崖から落ちそうになれば「おいおいマジかよ冗談だろ」なんて言いながらギリギリで持ちこたえます。
また、台詞回しだけでなくモーションもネイトの見どころです。
プレイした方なら分かっていただけると思うのですが、あの少し脱力した、だらだらした走り方が素晴らしいです。
同じくゲーム界で有名なおっさんであるソリッド・スネークの動きとは大違いです。
この動きはモーションキャプチャーを用いて作られており、このモーションと英語版声優を務めていたのが、今回の映画版でカメオ出演していたノーラン・ノースでした。
このような、絶体絶命でも軽口を忘れない精神やだらついたモーションがネイトの魅力であり、間違いなく「アンチャーテッド」を人気シリーズに導いた要因の一つだと思います。
もちろんサリーの存在も忘れてはなりません。
ネイトに「スケベジジイ」と言われれば「そりゃ褒めすぎだよん」などと言うネイト同様にユーモアを欠かさない姿勢は欠かさず、それでも大事な時にいつも頼りになる男。一方でネイトの25歳年上ということもあり「もうお前みたいに若くないんだ」と言いながら身体能力の面では後れを取ってしまうという比較的リアルなキャラ造形が魅力的です。
また、ネイトのサリーの絆の強さと言うのも重要です。
サリーはネイトの冒険の相棒であると同時に、実質ネイトの父親でもあります。
冒険中にはネイトと軽口を叩いていても、エンディングでは真剣にネイトの結婚を後押ししたり、「お前が死ぬ時は俺も一緒に死んでるか」と普通に言うほどネイトとは深い絆で結ばれています。
このようにネイトとサリーの強い絆、そしてなによりこの二人がおっさんであることがアンチャーテッド最大の魅力だと思います。
映画版はこれらの魅力が薄い
繰り返しになりますが、「アンチャーテッド」は本来映画化が難しい作品です。
実際に映画版を見ると、「アンチャーテッド」が映画というエンタメとの差別化にいかに成功していたかを実感できる結果となりました。
まず、舞台のスケールはどうしてもゲームシリーズよりも見劣りしています。
百歩譲って序盤のオークションや中盤のスペインは大目に見るとしても、たどり着いたお宝が海賊船二隻というのは「アンチャーテッド」としてはいただけません。
このお宝を擁護するとすると、「アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝」のように「一作目だから」というフォローはできるかと思いますが、それは結局本作がドラマの第一話に過ぎない印象を与えているということに変わりなく、決して本作の評価ポイントにはなり得ないと思います。
アクションシークエンスに関しても、ゲームシリーズに比べれば圧倒的に見せ場が少ないです。
今回の映画版でゲームシリーズに匹敵する「見せ場」というと、輸送機シーンとクライマックスの海賊船バトルだと思います。
映画作品としては申し分ありません。しかし「アンチャーテッド」側から言わせてもらうと “たった二か所か” と言わざるを得なくなってしまいます。
これらの難点は映画の作り手に問題があったわけではありません。むしろ相当健闘していると思います。
アンチャーテッドが持つ「スケール感」と「見せ場」に関する魅力は、映画というフォーマットを使用する以上、100%の再現、あるいは原作を越えようというのは物理的に不可能であるということです。
本作の作り手はそこをわかっているため、原作ゲームシリーズよりも時代設定を過去に置き、ネイトの初めての冒険という設定にすることで、どうしても埋まらない原作との差が目立たないようにしたと考えられます。
これはアンチャーテッドを映画化する上では避けられない選択であったと言えるでしょう。
もし登場人物たちをゲームシリーズと全く同じ年齢設定にしていたら、それこそゲームシリーズとのスケール感の違いが際立ってしまい、「ゲームでいいじゃん」以外の何物でもない代物になっていたと思います。
ということで、「スケール感」と「見せ場」ではゲームシリーズに勝ち目のない映画版が映画版ならではの魅力を生み出せるとすれば、それは私がアンチャーテッドの魅力の三つ目に挙げた「キャラクター」でしょう。
映画版を見ると、やはりキャラクターの設定や各人の関係性については様々な変更が施されていました。
では、これら映画版のキャラクターたちはゲームシリーズ以上に魅力的なキャラクターになっていたでしょうか。
なっていません。残念ながら。
キャラクターたちの設定変更
原作からの設定変更自体は全く否定しませんし、なんなら原作を忠実に再現することが正義だとは思っていません。(ザック・スナイダーレベルになれば逆にアリ)
むしろ原作を一部変更することで(敬意を持つことは必要)その物語が持つテーマやメッセージをより明確化したり、キャラクターたちの魅力をより引き出すようなことこそ映画化において重要な役割だと思います。
本作は、そういうことに関しては失敗していると思います。
ネイトとサリー
まず二人とも若い時点でベストではないのですが、そこは先ほど述べた通りやむを得ない選択なので百歩譲りましょう。
アンチャーテッドの魅力で紹介した通り、主人公ネイトという人物は、サリーと出会う前の少年時代から一人でフランシス・ドレイク卿の秘密を追っているような根っからの冒険野郎、というかもはやアドレナリンジャンキーです。
プレイヤーはそんなネイトと冒険を共にすることで、巨大な遺跡での謎解きにワクワクし、絶体絶命の状況に興奮を覚えるのです。
ところが本作のネイトはどうでしょうか。
トレジャーハンターになるきっかけは謎の男サリーに誘われたことでした。冒険に出る動機も兄を探すためです。(しかも兄は見つからない)
なんだかまるでシリーズ最終作で一度ドレジャーハンターを引退した後のネイトのようです。
映画としては一作目のネイトがそんなに冒険に対するモチベーションの低い人間では、果たしてトレジャーハンター映画の主人公として魅力的なのか疑問です。
また、ラストでは自分を騙してきたクロエに一杯食わせて「やってやったぜ」的な終わり方をしますが、これも原作のネイトの人間性とは大きく異なります。
ゲームシリーズ二作目でネイトはクロエに何度も裏切られますが、彼女もまた敵陣営内でピンチに陥っていると知ると、ネイトは単身クロエを助けに敵陣へ飛び込みます。
ネイトという人物はトレジャーハンターと言えば聞こえは良いがつまりは盗人であり、清廉潔白なヒーローではありませんが自分を裏切った人間であろうと仲間は命懸けで守ろうとする「良い奴」です。
全作を通してあまり人を騙すような人間ではありません。
クロエを騙し返して「ざまあみろ」というのも良いかもしれませんが、それは少なくとも「アンチャーテッドらしさ」とは別物であることは間違いありません。
サリーは原作に比べてシリアスになってしまいました。軽口が足りません。
映画ではネイトと出会うのもネイトが20代になってから、出会った後も中盤までネイトを欺き続け、最後の最後に財宝よりネイトを助けることを選択する形でネイトとのバディ関係を完成させるという終わり方をしていました。
ネイトが14歳前後の頃に出会って以降20年以上の付き合いを続け、ネイトの相棒でありながら父親でもあるという極めて強固な関係だった原作に比べて、サリーというキャラクターが改良されているのかどうかは正直疑問です。
クロエ
クロエに関してもキャラクターとして現時点でははっきりと劣化してしまったと思います。
クロエは二作目に初登場したキャラクターで、二作目において最重要と言って過言ではないキャラクターです。登場以降多くのファンを生み、最終的にはスピンオフ作品の主人公になるほどの人気キャラクターになりました。
二作目で描かれたクロエという人物はネイトの元カノという設定で登場し、二作目で繰り広げられる、「チンターマニ石」を巡ったゾラン・ラザレビッチ率いるテロ組織との戦いにネイトを引き込んでしまった張本人です。
物語では何度もネイトを裏切ることになるのですが、それは単に彼女が人を信用できずに自分だけ勝ち抜けようとして行動しているわけではありません。
人質になってしまった自分の身を守るためであったり、自分のために命を懸けるなと伝えるために結果としてネイトを裏切る形になったりと、すべて彼女なりの事情やネイトに対する思いからそういった行動に出ています。
一方映画版のクロエはというと、ネイトとは初対面という設定になっていたこともあり、単にお互いが信用できないから騙し合うという関係に終始しました。
逆にサリーとは過去から付き合いがある設定でしたがその設定も特に活かされていません。こちらも単に疑い合っているだけです。
クロエに関してはアンチャーテッドらしさがないというより、単純に本来持っていたはずのキャラクターとしての魅力や深みが失われたという結果に終わっています。
エレナの不在
最後に、ゲームシリーズのファンが最も気になる点は「エレナ・フィッシャー」の不在でしょう。
本シリーズのタイトルになっている「アンチャーテッド」とは、元々はゲームシリーズ一作目時点でエレナが司会を務めていたテレビ番組のタイトルのことでした。
それよりも最重要なのは、エレナはサリーと同じく全作を通して登場しているキャラクターであり、最終的にネイトと結婚する人物であるということです。
映画にエレナを一切登場させなかった意図が正直不明です。
ネイトと冒険を共にするバディはサリーだけにしたい、エレナをクロエのポジションにおいてネイトと騙し合いをさせるわけにはいかないという事情は理解できます。
しかしちょっとしたシーンでだけでもネイトとエレナの出会いを描かなかったというのは、今後シリーズ化をして最終的に全てを丸く収めてハッピーエンドとするなら、一作目でエレナを出しておかないのはかなり不利ではないでしょうか。
本作の時点だとネイトとクロエのカップリング、もしくはネイトは恋愛をしないという展開が考えられますが、その変更がどうプラスに働くのか今の私にはイマイチ想像がつきません。
ゲームシリーズにおいてネイトとエレナの関係というのは、本筋のストーリーの次には大切な要素でした。
一作目では一番最初のシーンがネイトとエレナのシーンから始まります。
映画版におけるこの変更が今後のシリーズ化にどのような影響を与えるのか少々心配です。
まとめ
映画の感想というよりゲームシリーズの宣伝みたいになってしまいましたが、簡単にまとめると
この映画はポップコーンムービーとしてある程度楽しめるけど、ゲームのアンチャーテッドはもっとエキサイティングだしワクワクする素晴らしいアドベンチャーゲームだよ!
ということです。
“プレイする映画” という表現に偽りはないので、映画が好きでこのシリーズをプレイしたことがないという方はぜひプレイしてみていただきたいです。
もう現在ではすべてリマスター版が出ているのでダウンロード版が安価で購入できますよ
おわりに
「アンチャーテッド」ファンとして散々文句を垂れ流してしまいましたが、そもそも「ゲームの映画化」というジャンルで考えれば十分すぎる出来だとも思います。実際。
「アサシンクリード」に比べたらめっちゃ良いです。全然。
ゲーム原作の実写化の流れは今後も続く予定です。
アンチャーテッドを開発したNaughty Dog作品ではHBOが「ラスト・オブ・アス」をドラマ化、PlayStation Productions製作映画では「ゴースト・オブ・ツシマ」の映画化が予定されています。
特に「ゴースト・オブ・ツシマ」は大好きな作品なので期待したい気持ちで一杯なのですが、今回のアンチャーテッドを見る限り不安は拭い去れないというのが正直な感想です。
ああ、これはいい兆候じゃない…!
おわり
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