作品情報
制作年 | 2021年 |
制作国 | アメリカ カナダ |
監督 | ポール・トーマス・アンダーソン |
出演 | アラナ・ハイム クーパー・ホフマン |
上映時間 | 134分 |
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あらすじ
1970年代、ハリウッド近郊、サンフェルナンド・バレー。
引用元:公式サイト
高校生のゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)は子役として活躍していた。
アラナ・ケイン(アラナ・ハイム)は将来が見えぬまま、カメラマンアシスタントをしていた。
ゲイリーは、高校の写真撮影のためにカメラマンアシスタントとしてやってきたアラナに一目惚れする。
「君と出会うのは運命なんだよ」
強引なゲイリーの誘いが功を奏し、食事をするふたり。
「僕はショーマン。天職だ」
将来になんの迷いもなく、自信満々のゲイリー。
将来の夢は?何が好き?……ゲイリーの言葉にアラナは「分からない」と力なく答える。
それでも、ふたりの距離は徐々に近づいていく。
ゲイリーに勧められるままに女優のオーディションを受けたアラナはジャック・ホールデン(ショーン・ペン)というベテラン俳優と知り合い、映画監督のレックス・ブラウ(トム・ウェイツ)とテーブルを囲む。
また、カリフォルニア市長選に出馬しているジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)の選挙活動のボランティアを始める。
ゲイリーはウォーターベッド販売を手掛けるようになり、店に来た女の子に声を掛ける。
ある日、映画プロデューサーのジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)の家へベッドを届けるが、面倒に巻き込まれる。
それぞれの道を歩み始めるかのように見えたふたり。
出会い、歩み寄り、このまま、すれ違っていくのだろうか――。
『ザ・マスター』(2012)『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)など、代表作を挙げだしたらキリがないポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)監督の最新作です。
惜しくも受賞は逃してしまいましたが、第94回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートをされるほど評判の高い作品です。
第94回アカデミー作品賞ノミネート作品においては、この『リコリス・ピザ』が唯一授賞式開催時点でまだ日本で劇場公開されていない作品だったため、本作が気になっていた方は非常に多かったのではないでしょうか。
そんな作品がこの夏ついに公開となり、PTA最新作は取り上げないわけにはいかないだろうということで、本作の感想について述べていきたいと思います。
主演二人の長編映画デビュー作
まず本作の外部的な情報で最も注目すべき点は、本作が「主演二人のデビュー作」であることでしょう。
本作のヒロインであるアラナを演じるのは、グラミー賞でのノミネート経験もある三姉妹バンド「HAIM」の三女アラナ・ハイムです。
自身のバンドのミュージックビデオや短編ドキュメンタリーを監督するなど、以前から映像作品に関わる仕事はしていたようですが、俳優として画面上で演技をするのが今回が初だとのこと。
はっきり言って俳優デビューとは思えないレベルの高さです。
特に家族に対して怒りをぶつけるシーンなんかは迫真の演技で大変見応えがありました。
あのシーンは、劇中で彼女の家族を演じているのが本当のハイム一家であることを考えると、彼女が本気で思っていたことをぶちまけていたのかも…?
一方彼女の相手役となるゲイリーを演じるのはクーパー・ホフマンです。
彼は何と言ってもPTA作品で言えば『ザ・マスター』(2012)や『ブギー・ナイツ』(1997)でおなじみフィリップ・シーモア・ホフマンの息子であり、彼もアラナ・ハイム同様本作が映画デビューになります。
顔の系統(と若干体型も)が父親譲りでありつつ、笑顔の可愛らしい優しい顔立ちが非常に印象的でした。
彼もまた映画デビューとは思えない演技力を発揮していました。
やはり血というものは争えないのか…
『リコリス・ピザ』の影響元
本作全体の雰囲気としては、既に公言されているように『アメリカン・グラフィティ』(1973)や『初体験/リッジモンド・ハイ』(1982)を彷彿させています。
最近の映画で言えば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)が最も近い世界観でしょうか。
特に、映画内で何か強力な起承転結があるというよりはとにかく「あの頃」感を(その時代を経験していなくても)ひたすら想起させてくれるという点では『アメリカン・グラフィティ』が一番近い雰囲気に感じられるかもしれません。
ただ、本作は『アメリカン・グラフィティ』のような「あの頃」感や「ノスタルジー」を描くだけの作品にはもちろんとどまっておらず、(こんな言い方をすると途端に薄っぺらいですが)甘酸っぱい青春の1ページを切り取り、かつ恋愛関係の本質にも迫っているような素晴らしい青春・恋愛映画になっていたのではないかと思います。
ここではないどこかへ
子役として幼少期から社会的に成功したゲイリーは、その成功体験ゆえ自分への自信には一切疑いがないのですが、実は俳優としてのキャリアには陰りが見え始めており、それを薄々自覚してか、俳優の次は実業家として成功しようとチャンスを窺う少年です。
劇中ではウォーターベッド事業やピンボール事業を立ち上げ、一人前の大人として一生懸命背伸びしていますがやはり彼はまだ15歳の少年。
彼の周囲にいる仲間たちは自分よりさらに年下の子供たちであるし、本物の大人を前にすると何も言えなくなってしまったり、自分の生活圏よりも外部の事象、政治や経済についてはまったくの無知であったりなど、子供らしい一面がどうしても出てしまいます。
そんなゲイリーに一目惚れされてしまうアラナはというと、ゲイリーよりも10歳年上でありながら、自分がやりたかったわけでもないセクハラ親父カメラマンのアシスタントに甘んじてしまっており、特に序盤は自身に満ち溢れたゲイリーの佇まいに若干居心地の悪さを感じているような女性です。
ゲイリーよりも年上としての威厳を保ちたいという思いで、女優を目指してみたり、政治の世界に飛び込んでみたりと、ゲイリーに触発される形でアラナも新しい世界を求めてチャレンジを繰り返します。
自分の現状に満足できず、自分にはもっと輝ける場所があるはずだという、彼らの「ここではないどこか」を夢見てとにかく走ってみる、といった姿は青春映画の定番であり醍醐味ですが、本作が特に個人的に好みだったのは、その「ここではないどこか」のその先の様子を垣間見せ、そこが必ずしも夢見たような世界と同様ではないという現実をちゃんと提示している点です。
「みんなクソだよな」
お互いがお互いの影響を受けて様々なチャレンジをする二人ですが、なかなか思ったようには上手くいかない現実に直面します。
レオナルド・ディカプリオの親父さんから買い取ったウォーターベッドを売りさばいて「これで億万長者や!」と思ったら何だか知らないけどアメリカが石油危機に陥ってしまい市民は大混乱だし、女優を目指してハリウッドスターに対面するも、酔っ払い倒して自分がバイクから転げ落ちても気付かないような身勝手おじさんだったし、別のハリウッドの大物はとにかくクズだったし、打って変わって政治の世界に飛び込んでみても、確かに自分の知らない世界ではあったがまた別の方向で決して楽しそうなものではない状況を目の当たりにしてしまうし、彼らが夢見た「ここではないどこか」は、本当に夢見るべきものだったのかなんだか疑問になってきます。
そんな若干の行き詰まり感が漂い出す映画終盤、ワックス議員の恋人であったマシューがアラナに対してこんなセリフを言います。
「みんなクソだよな」と。
本当にそうだと思います。
みんなクソだし、自分だって人から見ればクソです。
いくら懸命に「ここではないどこか」を夢見ても、その先に待ち受けているものは新たなクソであり、結局また別の「ここではないどこか」を夢見てしまうだけなのです。
重要なのは、そんな「みんなクソ」であるこの世界を少しでも楽しんで生きられるように、この世界を誰とどう過ごすかなのです。
「あの頃の思い出」感
この映画は、そんなクソである世界の中で生きることにも思わず楽しさを見いだせてしまうような「あの頃の思い出」感がふんだんに用意されています。
意味の分からない冤罪で逮捕されたかと思ったら意味が分からないまま釈放されて走って帰る。
自分も一人前の大人として通用するかなと思いきや、本物の大人を前にするとビビッて委縮してしまう。
ガス欠のトラックでみんなで危険運転、からの夜明け。
などなど、本作で起きる出来事の多くは自分では経験したことがないはずであり、加えて時代も場所も自分が生きてきた青春時代とは全く異なりますが、どのエピソードも「あの時はあんな馬鹿なことやったよな」感が強いです。
この映画で描かれるエピソードは、我々の実人生でもしばしばある、後から思い返して思い出になっているパターンではなく「これは忘れがたい思い出になるな」とリアルタイムで自覚しながら過ごした「あの時間」を想起させる数々だと思います。
そしてこの映画において、そんな思い出の時にいつも一緒にいたのがゲイリーとアラナであるというわけです。
そのことに二人が気付いた時、お互いがお互いのもとに思わずダッシュしてしまうクライマックスへと繋がります。
最高のボーイ・ミーツ・ガール映画
本作は、まだ10代だけど一人前の男として一生懸命背伸びしたい少年と、もうすぐアラサーだけどいまだにうだつの上がらない生活に嫌気がさしている女性とが、常にお互いのエゴとエゴとがぶつかり合いながらも、だからこそお互いを理解し合い、時にはゲイリーが、時にはアラナが相手をリードしながら、この「みんなクソだよな」である世界の中でも同じ時と空間を分かち合う楽しさに気付き、結ばれていく物語です。
それはまるでハーブであるリコリスと油たっぷりジャンクフードのピザとを組み合わせるように、相反する二人が無茶苦茶な経験をしていきながら、あくまで自然に段々とお互いの大切さに気付いていく様は、さすがPTAのオリジナル脚本の巧みさといったところではないでしょうか。
本作はまさに最高のボーイ・ミーツ・ガール映画だと思います。
現実とのリンク
本作は、実在の人物をモデルにしたキャラクターが多数登場しており、彼らを演じている俳優がツッコまずにはいられない大物俳優たちなので、そこも本作の大きな魅力の一つになっています。
まずあっと驚くのはジャック・ホールデンというキャラクターでしょう。
彼をなんとショーン・ペンが演じていました。
初登場シーンでのショーン・ペンの渋さがえげつないことになっていましたが、彼は『サンセット大通り』(1950)や『ワイルドバンチ』(1969)などでおなじみウィリアム・ホールデンがモデルになっています。
ちなみに彼がアラナのオーディションをしていたのはクリント・イーストウッド監督作『愛のそよ風』(1973)、彼がゴルフ場でアクションシーンを再現することになったのはマーク・ロブソン監督作『トコリの橋』(1954)という実在の映画がモデルになっています。
そして本作一番の笑いどころを掻っ攫っていったのが、ブラッドリー・クーパーが演じたジョン・ピーターズです。
彼は実在する映画プロデューサーで、劇中で語られた通り『スター誕生』(1973)をプロデュースし、主演のバーブラ・ストライサンドとは実際に交際していました。
ただ、劇中で彼が取っていた行動は実際の出来事ではないとは思いますが、後にセクハラ問題が発覚しており、問題のある人物ではあったのでしょう。
「ピーナッツバターのサンドイッチは好きかい?」と口説くシーンに関しては本人の希望によって挿入されたセリフとのこと。
ちなみにブラッドリー・クーパーの出演はクーパー・ホフマンとアラナ・ハイム両者には伝えられていなかったそうで、あのブラッドリー・クーパー登場シーンが本当の初対面だったそうです。
その後ジョン・ピーターズに年齢を聞かれたアラナが一度「28歳」と答えてから「25歳」と言いなおすシーンがありましたが、あれはブラッドリー・クーパーとの撮影に緊張していたアラナ・ハイムが間違えて自分の本当の年齢を言ってしまったNGが採用されたシーンだそうです。
また、『アリー/ スター誕生』(2018)を制作したブラッドリー・クーパーが彼を演じているというメタ的な繋がりも粋な遊び心ではないでしょうか。
もう一人印象的だったのは、監督としては『アンカット・ダイヤモンド』(2019)、俳優としては『私というパズル』(2020)でおなじみ「サフディ兄弟」の弟、ベニー・サフディが演じたジョエル・ワックスでしょう。
彼も実在の議員で実際にゲイでした。
ただしヘアスタイルを中心に外見は実際のジョエル・ワックスからアレンジされており、風貌としては同じくゲイだった政治家のハーヴェイ・ミルク(映画『ミルク』ではショーン・ペンが演じた!)を参考にしていました。
これは現実ではないですが、謎の男が彼の事務所を監視しているという唐突な『タクシードライバー』(1976)オマージュもよかったですね。
また、主人公の一人であるゲイリーも実在の映画プロデューサー、ゲイリー・ゴーツマンがPTAに語った経験談をもとに作られたキャラクターだそうです。
ここで全員を紹介することは省きますが、彼ら以外にも大抵の主要キャラクターは実在の人物を元にしています。
極力実在の人物から人物像やエピソードを持ってきていることも、この映画で起きることは滅茶苦茶なのにどこか実在感や懐かしさを感じられてしまう要因になっているのでしょう。
ただひたすらのノスタルジーか
ここまで語ってきた内容からすると、「じゃあ本作はひたすらなノスタルジー映画なのか」という印象を持たれてしまうかもしれませんが、それはちょっと待っていただきたい。
確かにノスタルジーを楽しむ面が強い映画には違いありませんが、ひたすらノスタルジー”だけ”にはならないように作られていたとは思います。
1970年代アメリカを楽しく懐かしみつつも、ところどころはっきりと「セクハラ」があったり「日本イジリ」があったり「ゲイの迫害」や「石油危機」といった当時の「負の側面」にも触れており、都合の悪い部分を隠蔽して1970年代を全肯定するような作りには決してなっていないと思います。
先ほども述べた通り、いくら懐かしい1970年代だろうと「みんなクソだよな」の一言に尽きているので、本作がただひたすらノスタルジーに耽溺しているような作品にはなっていないと思います。
アメリカでは、登場する日本人の描写についてアジア系アメリカ人から抗議が起きたらしいですが、いまだに徹底は全くされていない気がする「日本人役に日本人をキャスティングする」ことをやっているし、日本人をネタにしたギャグにはなっていましたが、主人公たちは戸惑うばかりで日本人を馬鹿にした演出にはなっていないし、実際に当時のアメリカ人のアジア人に対する認識はその程度であったということを描いているということで、まるで当時はそうした事実がなかったかのように描くことに比べれば全く問題のないシーンではないでしょうか。
むしろ、かつての『ローン・レンジャー』(2013)におけるネイティブアメリカン字幕問題(西部開拓時代を舞台にしているから誰もがインディアンと呼んでいるのに「アメリカ先住民」という字幕を付けた)のように歴史的事実を隠蔽し修正してしまう方が問題だと思います。
リコリス・ピザとは
本作のタイトルになっている「リコリス・ピザ」という言葉について劇中では一切言及されません。
このタイトルは、当時カリフォルニア州南部に展開していた「Licorice Pizza」というレコードチェーンの店名に由来しており、同時にこの言葉は黒い円盤という見た目から、「Long Play」を意味する「LP」にかけて「Licorice Pizza」と呼んでいたスラングでもあります。
PTA監督は、「この言葉が最も自分の子供時代を想起させる」から、また「映画全体の雰囲気を表現している気がする」からこのタイトルを付けたと説明しています。
なので、先ほど私は強引に「Licorice Pizza」をゲイリーとアラナの関係になぞらえましたが、あながち的外れでもないのかもしれません。
おわりに
というわけで、ポール・トーマス・アンダーソン監督の手によって最高の青春、ボーイ・ミーツ・ガール映画が誕生してしまいました。
「お前のミルクシェークを飲み干してやる!」級の狂った名言は登場しませんでしたが、「みんなクソだよな」や「ピーナッツバターのサンドイッチは好きかい?」といういい感じの名言は登場してくれました。
そんな冗談は置いておいても、個人的にはPTA作品の中では最も万人受けする作品ではないかなと思いますのでPTA作品の入門にも最適かもしれません。
あまり公開規模は大きくない(『エルヴィス』とか『バズ・ライトイヤー』と同日公開ならしゃーない)ようですが、ぜひ多くの方に見ていただきたい作品です!
おわり
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