『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022) ネタバレ解説 感想|奪われるのは目か、心か、息子か

解説・感想
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作品情報

制作年2022年
制作国アメリカ
監督ジェームズ・キャメロン
出演サム・ワーシントン
ゾーイ・サルダナ
シガニー・ウィーバー
ケイト・ウィンスレット
上映時間192分

あらすじ

神秘の星パンドラの一員となった元海兵隊員のジェイクは、ナヴィの女性ネイティリと家族を築き、子供たちと平和に暮らしていた。再び人類がパンドラに現れるまでは…。神聖な森を追われた一家は、“海の部族”の元へ身を寄せる。だが、この美しい海辺の楽園にも、侵略の手は迫っていた…

引用元:20世紀スタジオ公式

ジェームズ・キャメロン監督最新作です。
2009年の前作『アバター』から約13年振りの続編です。

続編制作の発表自体は2010年に行われていたので、そこから12年経ちようやく全世界待望(?)の続編が観られることとなりました。
前作は3D映画というジャンルに革命を起こしたと言っても過言ではないほどの映像革新を見せてくれ、世界中で大ヒット、最終的には歴代興行収入世界1位の映画として現在も君臨し続ける作品となりました。
(一度『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)に抜かれましたが、本作の公開前に行われた世界的な再上映で再度1位になりました。)

そんな映画史に残る1本となった『アバター』の続編は、果たしてその続編にふさわしい出来であったのか。
前作に引き続きしっかりリアルタイムに劇場で目撃してきたのでここに記録しておきたいと思います。

今のところ世界中で高評価

Avatar: The Way of Water Tokyo Premiere Photos Showcase Stars
Photo by Christopher Jue/Getty Images for Disney

とりあえず本作は今のところ世界中で高評価、既に複数の映画賞でノミネートや受賞を受けており、まあさすがに当たり前かなと思いますが、アカデミー作品賞ノミネートも間違いなしといった評価のようです。

確かにジェームズ・キャメロンが映画界、特に技術面においての貢献度で言えば世界トップクラスだし、本作も技術的な革新性については間違いなく卓越しているので、映画賞で評価されるのは分かります。

ただ、総合芸術である「映画」としてどうか、映画賞のカテゴライズで言えば「最優秀作品賞」に値する作品かというと、正直それはどうかなと思ってしまいます。
要するに、技術面ではない脚本や作劇といった面については、いくら何でも手を抜きすぎではないかと思うので、その辺りは後半で詳しく述べようかなと思います。

映像技術の革新性

How 'Avatar: The Way of Water' Solved the Problem of CGI Water - The New  York Times
©20th Century Studios.

やはり『アバター』シリーズで最も重要なのは、ハリウッド映画最先端(=世界最先端)の映像技術が使用されるという点でしょう。
前作では、これまでの手前に飛び出してくる方向の3Dではなく、目の前に景色が広がるというような奥行き方向の3Dを見せることで我々観客に衝撃を与えました。

前作を公開当時に劇場で鑑賞した際の衝撃は今でも忘れません。
あれは私が中学1年生、いや中学2年生か、ちょっと忘れてしまいましたが、家族で桜木町のワーナーマイカルシネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)で鑑賞し、画面の奥に広がる広大な自然に度肝を抜かれたものです。

映像技術はこんなところまで来たのか!と驚きながら映画館のすぐ横にあるアメリカンなレストランでハンバーガーを食べたわけですが、気付けばマーベル映画なんかは大体IMAX3Dでも上映されることが当たり前になり、奥行き方向の3D映像にはすっかり見慣れて、なんなら「3Dで観なくてもいいか…」なんて考えてしまうほどにありふれたものになってしまいました。

ただ、当時の『アバター』の映像に対する衝撃は間違いなく半端じゃなかったわけで、あの作品の登場によって飛び出すだけが3D映像の時代は終わってしまいました。

そんな映画の続編なわけですが、技術的には間違いなく前作よりも困難なことを実現しているのだと思われますが、しかし残念ながら今作が映像技術に関して観客たちに前作ほどの衝撃を与えたかというと、さすがに前作ほどではなかったと思います。
ただ、これはさすがにしょうがないことだと思います。3D映像に関して『アバター』を上回る衝撃を与えるのであれば、もう「メガネ不要」とかになるしかないと思うので。(でもアバター4か5くらいでそれをやろうとしてるみたい)

ただ、進歩は確実に見受けられました。
3Dに関してはその自然さが史上最高だったと思います。
アバター』で奥行き方向の3Dが実現したわけですが、しかしそれは明らかに「層」になっているのが分かるものでした。
そして層になっているのが分かるというのは、最新のマーベル映画のIMAX3Dでも感じられてしまう部分でした。
それが本作ではその層を全く感じさせないという点で、現時点で最高峰の3D技術であったことは十分うかがえました。

ただ一つ感じてしまったこととして、層を感じさせずに自然な映像になっているのですが、あまりの自然さで逆に3D感が薄れてしまっている気も若干します。

また、水中でのモーションキャプチャというのも今作が初めて実現させた技術です。(この技術の開発だけで1年半かかったらしい)
CGIのみによって水中を表現しているのではなく、実際に水中でモーションキャプチャを使った撮影を行うことで、これまでにないほどリアルな、キャラクターが水中にいる映像を作り出すことに成功しています。
この水中シーンのリアルさというのも圧倒的な技術革新であることが見て取れます。

この3D表現と水中モーションキャプチャに関しては確かにすごいです。
ただし問題は上映方式のHFR(ハイフレームレート)です。

HFRとはその名の通り、通常の上映方式よりも高いフレームレートで上映する方式のことで、通常の映画は24fpsのところ、本作は倍の48fpsで鑑賞することができます。
映画のハイフレームレートの歴史については、『2001年宇宙の旅』(1968)や『ブレードランナー』(1982)の特撮で知られるダグラス・トランブルが映画のフレームレートを研究し始めて、それこそジェームズ・キャメロンも『ターミネーター2』(1984)の3D版を制作する際に既にHFRを経験していたり、なんやかんやいろいろ長いので各自調べてもらえればいいと思います。

とりあえず直近のHFR上映で記憶に新しいものといえばアン・リー監督の『ジェミニマン』(2019)でしょう。
ジェミニマン』は驚愕の120fpsでの上映(さらに4Kで3Dでもある)でした。
というかそれより以前にピーター・ジャクソンによる『ホビット』三部作の時点で散々この話題は出ていた気がしますが、本作をもってしても同様の問題が起きていしまっています。
ということで映画におけるHFRというのは根本的にこの問題を抱えているということではないでしょうか。

その問題とは、HFRの映像は生っぽすぎるということです。
リアル感が増すということは臨場感が増しているということではないのかと思われるかもしれませんが、HFR映像の生っぽさは映画の臨場感とは異なります。

生っぽいとはどういうことかというと、映像から”セットで” ”撮影をしている”感が伝わりすぎてしまうということです。
本作で言えば、終盤で子供たちが人間に潜水艇で追いかけられるシークエンスやクライマックスの沈没するタイタニック号上での戦闘など。
クライマックスは船のセット感が出てしまっていますが、まだ違和感は少ないほうだったかと思います。
特に違和感が大きかったのは、クライマックス手前で子供たちが人間に潜水艇で追われる場面。
途中でグレートマザーパワーを発揮したキリに破壊される潜水艇が出て来る浸水するその潜水艇内部を映すショットがありました。
映っている人物がナヴィではなく人間であり、海の中の映像でもないということで、ショット自体は一瞬であったにも関わらず、とんでもなくセット撮影感を感じさせる映像になっていました。

ただ、本作に関しては背景などCGが使われているシーンがほとんどのため、上記のようなセット撮影感がビンビンな映像というのは少なめです。
それではCG映像のHFRはどのような印象になるかというと、これもやはり臨場感が高まっているのではなく、ゲーム映像に見えるという現象が起きています。

特に今は、本物のキアヌ・リーヴスなのかCGのキアヌ・リーヴスなのかガチで見分けがつかないことで話題になった「Unreal Engine 5」なんかが登場しているので、フレームレートが上がることでむしろこうしたもので作られたゲーム映像と同じように見えてしまいます。
フレーム数が多いために、爆風などで素早く吹っ飛んでいく人間がくっきりハッキリ見えているのは、おそらく大半の人間の肉眼を超えてしまっているため、かえって作り物感が出てしまっています。

映画のフレームレートを上げるということはつまり、肉眼で見ている映像により近づくということです。
この”肉眼で見ている映像に近づく”というのは、その映像が表現している中身の臨場感を高めるのではなく、その映像が撮られている撮影現場の臨場感を高めているのです。
そしてCG映像は60fpsや120fpsなどで作られている”今時のゲーム映像を見ている”ように見えてしまいます。

「じゃあもうお前はその上映方式で観るな」と言われればまあそれで終わってしまうのですが、一方でこれは単なる慣れの問題である可能性もあります。
何fpsで鑑賞しようが、その映像がセット撮影されたものであることには変わりありません。
しかし24fpsの映像の方が自然に見え、48fpsだと作り物っぽく見えるというのは、単純に映画を24fpsで見慣れているからに過ぎないのかもしれません。

なのでもし48fps映像が当たり前の世界になれば48fpsが最も自然に見え、24fpsが逆に不自然に感じるのかも?

ただ、人間が肉眼で見ている映像が30fpsくらい(めっちゃ人による)みたいな話もあるので、それを超えるフレームレートの映像だとやっぱり不自然なのかも。

あとは照明とか衣装とか美術、撮影技法などというのは基本的には24fpsで観ることを前提に構築されていると思うので、高いフレームレートの映画を作る際には、24fpsが前提の方法論が思っている以上に通用しないのかなとも思ってしまいます。

少し話を戻すと、現状48fpsのようなHFR映画は、映画内世界がリアルに伝わるというよりも撮影現場の臨場感が伝わってしまうので、ドキュメンタリーや舞台芸術の映像化などに最も向いた手法であり、SFやファンタジーといった非現実性が高いジャンルには向かないのではというのが私の感想です。

それだけ映像にこだわってやるのがこんな話?

Avatar: The Way of Water' cast, plot and details
©20th Century Studios.

衝撃度こそ低く感じてしまうことは否めませんが、前作に続き本作も映像技術はすごかったと思います。
ですがこの『アバター』シリーズは、映像技術にはこだわりまくっているのに、その映像技術を存分に使うにはあまりにもストーリーがつまらなすぎます。

もうナヴィという種族のことが分からない

二作目である本作では、前作にあった人間である主人公の目線というものがなくなったこともあり、前作ではごまかせていたナヴィやパンドラといった世界観の作り込みの浅さが目立ってしまいました。

なにしろナヴィのみなさん、特にジェイク一家はほとんどアメリカ人家族にしか見えないという問題があります。
ジェイク一がアメリカ人だからやむを得ない面もあるかもしれませんが、それにしてもナヴィという種族の暮らしぶりが昔の人類と同じすぎるため、ちょっと見た目の変わった人間たちにしか見えず、世界観に対するSF的なワクワク感がありません。
パンドラの海に関しても、古代の地球をちょっといじった程度にしか見えず、なんなら実際の地球の方が人間の想像力を超えたような造形の変な生物がいた気がするので、パンドラの生態系にワクワクすることもできません。
さらに本作の物語はほとんどあの村周辺で完結してしまうのでパンドラという惑星のスケール感も特に感じられません。

ただしナヴィの造形は相変わらず素晴らしいと思います。
ナヴィの造形に関しては、アーティストであるジェームズ・キャメロンがこのシリーズを作るにあたってもっとも本気で考えたものだと思うので素晴らしくて当然なのですが。

女性のナヴィにまあまあエロさが含まれているのもジェームズ・キャメロンがわざとそのようにデザインさせているとのことなので、ナヴィのデザインに関して気合が入っているのはよく分かります。
ただそれももっと細かいことを言えば、種族間での違いはあるものの、個人レベルでの外見の多様性にはかなり無頓着であるあたりは気になります。
要するにナヴィたちには、ジェームズ・キャメロン自身のルッキズム的価値観が反映されてということです。

つまりは、ジェームズ・キャメロンは自分の好きなものに関してはめちゃくちゃこだわるが、興味のない部分に関してはたとえ自分の映画であってもかなり適当にやってしまうということがこちらに伝わりまくっているということです。

ナヴィの外見にはこだわりまくっている割に、ナヴィの文化や生態については人間と大差ないものとして深く考えられてはおらず、人間を悪役にするために作った人間ではないけど人間みたいな生き物、先住民のメタファーとしての種族以上の意味や興味深さといったものはほとんどありません

ここに関しては、本シリーズのSF映画としての魅力、ストーリー的な面白さを損なわせている一因だと思います。

これでもかと前面に出てくる”反捕鯨”メッセージ

The space whales are the best part of Avatar: The Way of Water - Polygon
©20th Century Studios.

とりあえず見ながら一番残ったのは反捕鯨メッセージの巨大さです。
実際作り手の正直な気持ちとしては、海にまつわる分かりやすい悪事としてぱっと思いつくのが捕鯨だったから入れた、くらいの意識なのかなとは思いますが。
とはいえ、クライマックスで主人公ジェイクたちが人間と戦うに至るモチベーションに関して、メインは子供の人質としても、それとほぼ同格な感じで捕鯨に対する報復が含まれていたことには驚いてしまいました。

少々話が逸れますが、私個人としては捕鯨なんてやめてしまっていいのではないかと思っています。
それはキャンセルカルチャーに迎合したいわけではなく、日本人の私から見ても日本における捕鯨文化の大切さがイマイチ伝わってこないからです。
これは純粋に日本から世界に対して、というかもはや国内に対しても発信不足であるせいだと思います。

漢字を用いたロゴまで作られて捕鯨がゴリゴリに批判されているにも関わらず、日本人の感想でこの捕鯨に関して触れているものは非常に少ないし、捕鯨文化のあり方が世界に全く伝わっていないからこそ、本作の捕鯨描写のように、まるでクジラを無駄に殺して無駄遣いをしているような誤解された捕鯨描写が行われてしまうわけです。

というわけで、日本がなぜ捕鯨を続けるのか、なぜやめないのかが全然伝わって来ない以上、その程度の必要性なのであればやめてしまえと個人的には思います。

そして実際の日本が何をしたかというと、ジェームズ・キャメロンや主要キャストが来日した際に、水族館のイルカショーを見せるという・・・。
どこの誰が企画したのか知りませんが、どうせ大手の広告代理店だとは思いますが、どんな無神経さなのでしょうか。
キャメロンもキャメロンでそこそこ楽しそうにしていたというのも含めて、地獄かよと思いました。おわり。

話を戻すと、前作で立派な”白人酋長もの”をやってからの今回いきなり捕鯨?という謎のジャンプ感というか違和感があるし、そのテーマの劇中を占める割合がかなりデカいのも引っかかる部分です。

狭い世界で起こる割とどうでもいいいざこざ

Avatar: The Way Of Water Tops Box Office Charts, But Slightly Underperforms  Expectations
©20th Century Studios.

本作の物語は序盤にちょっと森の集落が出てきて、それ以降は海辺にある一つの集落内で物語が完結するため、惑星パンドラは結構デカいはずなのに物語のスケールはめちゃくちゃ小さいです。
しかも、そんな集落の中で描かれるのは大体どうでもいい子供たちの小競り合いなのです。
特に次男が海に置ていかれるシーンなんかは妙にリアルないじめシーンで、ただただ嫌な気持ちになるシーンなので非常に戸惑います。

そして後からその出来事を知った親たちが「あとはうちで・・・」と引き取るくだりが複数回行われるという、SF超大作とは思えないようなストーリーが展開していきます。

面倒を起こすメンバーも同じだし、いざこざのしょーもなさも毎回同じだし、シンプルに面白くないと思います。

今どきゴリゴリの家父長制

Who's who in Avatar 2: The Way of Water | EW.com
©20th Century Studios.

物語的な面で最もノレないのはやはりジェームズ・キャメロン自身の価値観と思われる”父親像”でしょう。
今時のハリウッド映画には珍しいほどゴリゴリの家父長制が描かれていました。

軍隊式の子育てを行っており子供には”Sir”呼びをさせ、妻と相談しているように見えてその実自分の意見だけを押し通すジェイク。
しかも「父親とは家族を守るものだ」といったセリフが複数回登場します。

そして本作がもっともヤバいのは、このかなり古めな家父長制的価値観が、物語を通して全く反省されないどころか全肯定されて終わるという点です。
しかも劇中で起きる出来事を見る限り家父長制的価値観は反省されるべきはずなのに、です。

「父親とは家族を守るものだ」と何度も言っておきながら、本作の中で何度も子供たちを誘拐され、挙句長男を失っています。
父親が全く家族を守れていません
にも関わらず、映画最後にはやはりもう一度「父親とは家族を守るものだ」のセリフで締めくくられます。
ツッコミ待ちなの?と思えるほどの驚きエンディングで、思わず劇場で「えっ?」と声が出そうになったのは私だけではないはず。

いやお前全然家族守れてなかったやん!

ネイティリ・スパイダー問題

Avatar: The Way of Water' Is Breathtaking and Clunky All at the Same Time -  CNET
©20th Century Studios.

もう一つクライマックスの衝撃シーンといえば、末っ子を人質に取られたネイティリが最終手段としてスパイダーを人質に取るシーンでしょう。
ここが間違いなく本作において最もシビアなキツい場面であったと思います。

家族同然の付き合いだったジェイク一家とスパイダーには、命の危機レベルまで追い詰めれば、やはりそこには残念ながら線引きがあったということが分かってしまう非常に厳しい場面で、この場面自体は良かったと思います。
いくら対等に接している各々を尊重しているように見えても、最終的にはやっぱり線引きがあるじゃんという、いわゆるアメリカ的リベラルへの問題提起にも繋げられるシーンでした。

しかし残念だったのはその後です。
これだけシビアな場面がありながら、その後誰もこの件に一切触れることなく、ハッピーエンドっぽく一件落着、なんとなく有耶無耶のまま映画が終わってしまうことです。
この話をどう落ち着けるのかをめちゃめちゃ気にしながらエンディングを見ていただけに、一切触れられずに終わってしまうのは非常に残念でした。

ただ、今回触れられずに終わったということは、この件は大きな禍根として次回作以降に響いてくる一件として扱われる気もするので、次回作以降を観れば問題なく良いシーンとして観られるかもしれません。

ストーリーの不満についてはこんなところでしょうか。
前作で一度敗北し、本作で何度も子供の誘拐までは成功させておきながら、またしても甚大な被害を出すだけ出して結局ジェイクに敗北しているクオリッチ大佐はそろそろクビにした方が良いのではないか、という点も気になりますが、本作でクオリッチ本人がナヴィを殺している描写がないあたりやあのエンディングを見ると、この先ジェイク側に付きそうなフラグが立ったと思われるので、人間側にとってみるとクオリッチがまあまあ無能なのは良しとしましょう。

アクション面については、そこはさすがというか、HFRによって素早い動きでも見やすいということもあって概ね見応えのあるものだったと思いますが、一点だけ気になった点としては、ヘリや船などの運転手を打ち抜いて殺す描写が、そればっかりじゃないか!とツッコミを入れたくなるほど多用されていた点です。
ナヴィの戦闘手段が弓と槍ぐらいしかないからしょうがないのかもしれませんが、もう少し何かあれば良かったなとは思います。

おわりに

ということで、私は本作をあまり楽しめなかった派ですが、それでもこれだけ長々と語ってしまいたくなる映画であるという点においては、やはりジェームズ・キャメロン映画には良くも悪くも人を惹きつける魅力があるのでしょう。

近年のジェームズ・キャメロンといえば、隙あらばMCUをこき下ろすおじさんとして有名ですが、「MCUに登場する大人たちはもっと大人としての責任感というものがないのか!」的なことを言っていたおじさんが作った映画がゴリゴリの家父長制、というのはなかなか興味深いものがありますね。

次回作には砂のナヴィ族が登場する的な噂があります。
じゃあ4では宇宙に飛び出して、5ではマルチバースかな!

おわり

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