『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021) ネタバレ解説 感想|雑誌の映像化が映画にもたらす影響

解説・感想
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作品情報

制作年2021年
制作国アメリカ
監督ウェス・アンダーソン
出演ベニチオ・デル・トロ
エイドリアン・ブロディ
フランシス・マクド―マンド
ティルダ・スウィントン
ビル・マーレイ
上映時間108分

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あらすじ

物語の舞台は、20世紀フランスの架空の街にある「フレンチ・ディスパッチ」誌の編集部。
米国新聞社の支社が発行する雑誌で、アメリカ生まれの名物編集長が集めた一癖も二癖もある才能豊かな記者たちが活躍。
国際問題からアート、ファッションから美食に至るまで深く斬り込んだ唯一無二の記事で人気を獲得している。

ところが、編集長が仕事中に心臓まひで急死、彼の遺言によって廃刊が決まる。
果たして、何が飛び出すか分からない編集長の追悼号にして最終号の、思いがけないほどおかしく、思いがけないほど泣ける、その全貌とは──?

引用元:公式サイト

ウェス・アンダーソン監督最新作ですね。
長編映画としては犬ヶ島(2018) から3年ぶりの第十作目、実写映画でいうとグランド・ブダペスト・ホテル(2014) 以来の新作となります。

本作はとにかく超絶怒涛の豪華アンサンブルキャストが話題でした。
「アベンジャーズ」もびっくりな俳優陣だったんじゃないですかね。
特にレア・セドゥ、クリストフ・ヴァルツ、ジェフリー・ライトが共演していたのでこれはもうほぼ「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(2019) と言って差し支えないんじゃないですかね。
もっと言うと、「007/慰めの報酬」(2008) に出演していたマチュー・アマルリック、「007/消されたライセンス」(1989) に実は出ているベニチオ・デル・トロもいるので、もはや007ですねこれは。

どんな人が見ても「ウェス・アンダーソンだなあ~」とわかってしまうほどの個性を放っているウェス・アンダーソン映画ですが、本作も世界の期待通りウェス・アンダーソン節が炸裂している一作でしたね。

ただし先に私の感想の結論を述べておくと、「ウェス・アンダーソン映画らしさを楽しむ」以上のものは感じられなかったというのが率直な感想です。

ぶっちゃけ我々 “非アメリカ人” にはちょっと厳しくない?

いきなりネガティブな話をしてしまいますが、本作は題材も作劇的にも、私も含め多くのアメリカ文化圏で育っていない人間には、正直なところちょっと難しかったのではないでしょうか。

「The New Yorker」あまり知らない問題

本作の舞台となっている「フレンチ・ディスパッチ誌」というのは、皆さんも既にご存じの通り雑誌「The New Yorker」がモデルになっています。

非アメリカ人でこの雑誌に思い入れのある人はかなり少数なのではないでしょうか。
近年では村上春樹の短編小説などが度々掲載されるということもあり、文芸雑誌的な側面で読んでいる人や、語学や文化の勉強のために読んでいる人はいると思いますが、日本で一般に広く読まれている雑誌とまでは言えないですよね。
私も「The New Yorker」自体は読んだことがなく、持っているイメージとしては大好きな映画、アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」やブライアン・デ・パルマ監督の「カジュアリティーズ」といった映画の原作小説が掲載された雑誌、という認識くらいしかありませんでした。

一方本場のアメリカでは、ニューヨークどころかアメリカを代表する(インテリ層向け)大衆雑誌であり、文芸だけでなく政治に関するルポルタージュもあれば批評や風刺、漫画に至るまで(主にニューヨークですが)その時々のアメリカの時代、文化を読み解くことができる雑誌です。
当然読者は多く、ウェス・アンダーソンのように「The New Yorker を読んで育った」みたいなインテリも多いわけです。

もうこの時点でこの映画を受け取るバックグラウンドに越えられない壁がある気がしちゃったんですよね…

字幕を読んでいる時点で一回の鑑賞では追いつくことが不可能

もともと字幕版で映画を観る場合、字幕を読むのに目を使っている分画面内の情報は見落としている、という問題が常にあります。
本作のようにセリフにも画面にも圧倒的な情報量が詰め込まれていると、この問題がいよいよ立ちはだかってきます。

例えば、もうどうしようもなくなってしまうのが3つ目のストーリー「警察署長の食事室」で、マチュー・アマルリック演じる署長が誘拐された息子の奪還計画を語るシーンでした。
このシーンでは、画面はスプリットスクリーンで二画面になっているうえ、英語のセリフとフランス語のセリフが重なって展開されており、画面の上下に字幕が表示されます。

このシーンについては英語の字幕がいらない人々にとっても処理が追いつかないシーンなので、英語も字幕を読まなければならない我々はもうまともに受け取ることはできませんでした。

この映画の膨大な情報量を前に我々は言語の壁にぶち当たってしまうので、ここに関しても置いて行かれてしまう人は多かったのではないでしょうか。

雑誌の映像化という試み

本作一番の特徴と言えば、「French Dispatch(≒The New Yorker)」という雑誌を映像化しているという点だと思いますが、その点については間違いないく、これ以上ないほど大成功していると言えるでしょう。

ただしそれが一本の映画となった時、その「雑誌の映像化という表現」が「映画として面白いのか」という評価に対しては意見が分かれてもいい部分かと思います。

雑誌の特徴

雑誌の映像化に大成功している本作ですが、ではそもそも雑誌とはどんなメディアなのか。
人ぞれぞれ雑誌との距離感は異なるのでイメージは様々だと思いますが、私が思う雑誌のイメージはこんな感じです。

  • 表紙や特集記事など、見た目やルック的にとにかく目を引く
  • 話題や題材が多種多様であり、執筆者や編集によって伝え方も様々
  • 文字、写真、イラストなど情報量の密度が高い
  • 感動するとか感情が揺さぶられるなどということはない(いわゆるドラマとは異なる)

上で述べた通り本作は雑誌の映像化に成功していると思うのですが、成功しているがゆえに「雑誌を読んで何か大きな感動をする」「こちらの価値観に何か大きな影響を及ぼす」といったことはない、ということまでもきっちり映像化できてしまっていると感じました。

ここの部分をどの程度重要視しているかによってこの「雑誌の映像化」が「映画として面白いのか」の評価が左右され、結果としてこの作品全体の評価につながるかと思います。

私が劇場で鑑賞した際、通路を挟んだ隣に座っていた中年ぐらいの女性の方は、映画の中盤自分のいびきで目を覚ましていました。
鑑賞中の段階でこの「映画として面白いのか」問題に結論を出し終えている方もいらっしゃいました。

画作り、ルックはさすがとしか言いようがない

引用元:公式サイト

語彙力がなくて申し訳ないですが、ルックの部分に関しては楽しさ、可愛さ、オシャレさどれをとっても「さすがウェスアンさん」以外の何物でもないのではないでしょうか。

ウェス・アンダーソン節炸裂

本作は、3つストーリーからなるアンソロジー的な構成に始まり、あらゆる映像表現と膨大なセリフ量という圧倒的な情報過多っぷりは、極めて雑誌的と言えるのではないでしょうか。

例えばミニチュアのドールハウス風やミュージカルの舞台風なセット遣いであったり、人力によるストップモーションの可笑しさなんかはまさにウェス・アンダーソン節炸裂といったような雰囲気でした。

フランス愛も炸裂

フランス大好きとして有名であり本人もパリ在住である彼ですが、そんな彼のフランス大好きっぷりというのも炸裂していましたね。

ストーリーでいうと最初のオーウェン・ウィルソンのエピソードなんかは顕著でしたが、全体を通した雰囲気としては、イメージの方向性は違えど「アメリ」を思い出すような色々な要素が誇張されたフランスのイメージであったかと思います。
わかりやすかったオマージュもいくつかあり、建物などの断面図を映してその中で人が動いているところなんかはジャック・タチっぽさがあったし、ティモシー・シャラメがリナ・クードリ演じるジュリエットと一緒にバイクに乗っていとこなんかは、レオス・カラックスの「汚れた血」を彷彿とさせていました。
エドワード・ノートンとマチュー・アマルリックとのドタバタアニメパートは「タンタンの冒険」を思い出す雰囲気であったと思います。

ウェス・アンダーソンのことなのでまだまだいくらでもあるのだと思いますが、こういったモチーフにあふれており、こちらにガンガン伝わってくるレベルでフランスへの郷愁(彼の故郷はニューヨークですが)のようなものが描かれていたと思います。

異常なレベルで豪華なキャスト陣

キャストが豪華というのはもうウェス・アンダーソン映画では当たり前の要素になっていますが、その豪華さというのも作品を追うごとに増していっているのではないでしょうか。

特に「シアーシャ・ローナン」「クリストフ・ヴァルツ」「ウィレム・デフォー」「エドワード・ノートン」のチョイ役っぷりときたら、かなり衝撃と言えるレベルでしたね。

シアーシャ・ローナンについてはチョイ役と言っても、あの超きれいな青い目であったり、歌声を聞かせてくれたりとかなり印象に残る役回りでした。
ウィレム・デフォーに関しても、彼の場合グリーン・ゴブリンを超える勢いで本人の顔面力があるので印象は強い方だったと思います。
彼の顔面力は「ハビエル・バルデム」や「アン・ミカ」に匹敵するほどの顔面力を誇りますからね…

引用元:公式ブログ

ただ、クリストフ・ヴァルツですよ、もう彼はフランシス・マクド―マンドにうざがられただけでしたからね、あれは衝撃でした。
エドワード・ノートンもセリフが極端に少ないうえに後半はアニメになっちゃうという、こちらも衝撃的な使われ方をしていましたね。

このような大物俳優たちのいい意味での無駄遣いができるのは、ウェス・アンダーソン映画ならではの魅力ですね。

はっきり言ってこれらのウェス・アンダーソン節を楽しめるという時点で、この映画を劇場に見に行く価値は十分にあります
しかし、そこからこの映画が好きになるかどうかはまた別の話ですよね。

その分かれ目は、先ほども述べた通り、以下の問題を各人がどの程度気にするのかによるかと思います。

劇中三つのストーリーで、内容に関する深い感動はない

引用元:公式サイト

本作では三つ(オーウェン・ウィルソンのパートも含めると四つ)の独立したストーリーが描かれていますが、これらはやはり雑誌的であり、ドラマとは異なるため見終わった後に深い感動やカタルシスといった感情は起こりません。

ウェス・アンダーソンによる個性的な演出や高密度な情報量によって、とりあえずどの話も最後まで見られるし、起きた出来事は理解できます。
ただ、誰かに感情移入したり心を動かされるといったことは起きません。
つまり良くも悪くも雑誌を読んでいるようなのです。

さらに言うと、もしこれが本当の雑誌の場合、自分の関心がない記事に関しては読まない、もしくは流し読みという選択が可能です。
しかし本作は、雑誌の映像化に成功しているとはいえ「映画」というフォーマットであることには違いないため、たとえ興味を引かれなくても最初から最後まできっちり鑑賞しなければならないんですよね…

この、「良くも悪くも雑誌を読んでいるかのよう」という印象は、私を含めた「映画にはある程度ドラマ性を求めたがる」人たちにとっては、本作に対するマイナスのイメージになってしまうのではないでしょうか。

ウェス・アンダーソン曰く「ジャーナリストたちへのラブレター」

最後にもう一点気になる部分について述べると、ウェス・アンダーソン監督本人はこの映画のことを「ジャーナリストたちへのラブレター」と表現しています。

率直な感想として、「The New Yorker」へのラブレターであろうことはうかがえるのですが、言うほどジャーナリストたちへのラブレターなのか?と思ってしまいました。

劇中に出てくる記者たちは正直ジャーナリズムとは結構離れた人たちのように思うのですが、ジャーナリスト的にその辺はいいのでしょうか。

おわりに

引用元:公式サイト

本作は、「ウェス・アンダーソン映画らしさ」を楽しむ分には十分素晴らしい作品です。
ただしそれ以上の深さまで受け取りきるのは、育ってきた文化的な面で少々厳しかったように思います。
要するに、万人が楽しめる作品とは正直言いにくい映画だったのではないでしょうか。

  • 「The New Yorker」に思い入れがある
  • フランスカルチャーめっちゃすき
  • ウェス・アンダーソン映画は無条件ですき

もし上記に一つも当てはまらない場合、本作はちょっと楽しみ切れない気がします。
ただし、しつこいようですがたとえ楽しみ切れなかったとしても「ウェス・アンダーソン映画らしさ」を見るだけでも十分価値のある映画なので、こんなストライクゾーンの狭い人の感想はシカトしてぜひ見に行っていただければと思います。

おわり

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