作品情報
制作年 | 1960年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | ビリー・ワイルダー |
出演 | ジャック・レモン シャーリー・マクレーン |
上映時間 | 120分 |
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※音が悪く聞きにくいです。すみません。
あらすじ
出世と上司へのゴマスリのため、自分のアパートを愛人との密会場所として重役に提供するバクスター。
引用元:映画.com
お調子者の彼は出世街道に乗り意気揚々とするが、思いを寄せていたエレベーターガールまでもがアパートを出入りするひとりと知り、愕然とする。
『サンセット大通り』(1950)や『お熱いのがお好き』(1959)など、数々の名作で知られる巨匠、ビリー・ワイルダー監督が手掛けるロマンティック・コメディです。
第33回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、脚本賞、美術賞、編集賞の5部門を受賞し、その他の映画賞でも作品賞等を受賞した大ヒット作です。
ある程度より上の世代の方々であれば、大抵一度は見たことのある作品ではないでしょうか。
本作を主演したジャック・レモンは、前年の『お熱いのがお好き』と本作によって出世を果たします。
以降、多くのビリー・ワイルダー作品でコンビを組むことになりました。
なんともう60年前の映画になってしまっていますが、60年経っても全く古びていない、極めて普遍的なテーマが描かれているので、今の時代を生きるどの年齢層が鑑賞しても、何か感じるものがあると思います。
ということで、今見ても古びていない要素を中心に本作の紹介と感想を述べていきたいと思います。
コメディにしては危ういテーマ
あらすじで言及されている通り、主人公バドは自身の出世のため会社の重役たちに愛人たちの密会場所として自分の住居を貸し出しています。
つまり、物語の中心には「不倫」というテーマが存在します。
また、本編中盤辺りで明らかになりますが、本作には「自殺」というテーマも含んでいます。
「不倫」や「自殺」という明らかにネガティブなテーマを軸に置いておきながら、作品全体としてはバチバチに「ロマンティック・コメディ」として成立しています。
この、ただ甘ったるいだけではない、ところどころに若干の暗さを感じさせる話運びと言うのが、現在でもこの映画が楽しめる一因であり、さすがはビリー・ワイルダーといったところでしょう。
主演ジャック・レモンの丁度良いキャラクター
本作で彼が演じるバドという主人公は、非常に見やすさの丁度良いキャラクターです。
男前過ぎない外見
まず、男前過ぎない外見が丁度良いです。
この時点で親近感が湧きます。
この映画と同時代で言うと、二枚目俳優としてはケーリー・グラントなんかが活躍していたかと思いますが、そういうイケメンの恋の悩みを見せられるよりも、ジャック・レモンあたりが演じてくれた方がよっぽど行く先を見たくなります。
オーバー過ぎないコメディ演技
次に、オーバー過ぎないコメディ演技が丁度良いです。
チャップリンやローワン・アトキンソンのような漫画的な動きでもなく、ジム・キャリーのような騒がしさもなく、かと言って硬い演技ではない、丁度良いコメディ演技具合です。
かつて明石家さんまが俳優として活動する際に演技の参考にしていたとかしていないとか…
このある意味品の良いコメディ演技も、現代の鑑賞にも耐えうる要因になっていると思います。
(我々同様)しがないサラリーマン
また、主人公バドはしがないサラリーマンという設定も丁度良いです。
主人公バドは巨大な保険会社に勤めるしがないサラリーマンという設定なのですが、この職業というのも非常に普遍的なため、いつの時代でも親しみやすい主人公像になっています。
ここに関しては後ほどもう少し詳しく触れます。
こうした主人公を演じるジャック・レモンこそが、この映画の大きな魅力になっていると言って過言ではないでしょう。
有名なあのセットが初登場
この映画が映画史的な重要作になっている理由の一つに、有名な「あのセット」があります。
それは、主人公バドが勤める保険会社のオフィスです。
映画序盤でバドが働いているオフィスは、フロアがとんでもない広さに見えます。
あのオフィスは、実際にあのようなオフィスがあったわけでも、あれだけ広いセットを用意したのではなく、「強制遠近法」という手法を用いて実際の広さよりも広く見えるセットを作っています。
具体的には、カメラから遠くにある物ほど物自体を小さくしていき、フロアの後方で動いている人々は、子供にスーツを着せて歩かせることで、非常に遠くにいるように見せています。
このオフィスのセット作りが非常に評価され、このセットは後に『大統領の陰謀』(1976)におけるワシントン・ポストのオフィスとしてそのまま流用されています。
「強制遠近法」という撮影手法もその後定番化し、有名なあたりでは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズでホビットを撮影する際などで効果的に使用されています。
このオフィスのセットの完成度を見るという目的でも、この映画を今見る価値は十分にあります。
お手本のような小物使い
現代においてこの映画が語られる際に必ず触れられる点として、「小物の使い方の上手さ」が挙げられます。
映画系の学校などで、本作の小物使いをお手本として取り上げることも少なくないようです。
本作に登場する小物で最も重要なのが「コンパクト」です。
重要なショックシーンを小物で語る
この映画では、シャーリー・マクレーン演じるヒロイン、フランは「自分が上司との不倫に使っている部屋がバドの部屋である」ことには気付いていないが、しかしバドだけは「自分の部屋を使った上司の不倫相手がフランである」ことに気付くという状況を作り出すために、コンパクトが使用されます。
具体的には、フランが鞄から取り出したコンパクトが、部屋にあった忘れ物としてバドが上司に返したコンパクトだった、という演出によってこの状況を作り出します。
キャラクター同士の会話などではなく、コンパクトの登場だけでバドと観客に対してショックを与えるこの演出はお見事でしょう。
しかも、そのコンパクが物語るのはこれだけではありません。
そのコンパクトの「鏡が割れている」ことによって、そのコンパクトをのぞき込む各人の心情を表します。
上司であるシェルドレイクがのぞき込んだ時、彼の顔が二重に映ります。
これはまさに「結婚生活」と「不倫生活」との二重生活を示しています。
フランは、その割れた鏡を指して「これは私の心よ」と述べるように、フランの心も表しています。
そしてバドは、コンパクトの鏡が割れているのを見て、これがまさに自分の部屋にあったコンパクトであることに気付き、上司の不倫相手がフランであったことを理解するのです。
と同時にもちろん、その亀裂は彼の心を示すものでもあります。
このように、「鏡の亀裂」という一つのモチーフを使用して、三人のキャラクターの状況や心情を説明することに成功しています。
まさに小物使いのお手本だと思います。
コンパクトを出すための前振りも抜け目ない
この映画は、劇中の重要イベントをコンパクトという小物に語らせるわけですが、そのための前振りもしっかり行われています。
映画冒頭、上司が不倫で使い終わった部屋に帰り、片付けをしながら雑な夕食を済ませるシーン。
座ったソファーの中から女性の髪飾りが出てきて、バドが「またか…」というリアクションをした後、いつものように「忘れ物置き場」にその髪飾りを置きます。
この描写から、「バドの部屋には日常的に女性の忘れ物がある」という状況が示されており、この前振りがあることで、フランがバドの部屋にコンパクトを忘れるのも自然な展開として受け入れられます。
この完璧とも言える「小物使い」が、本作の美点であることは間違いないでしょう。
上品で爽やかなラストシーン
これはラストシーンだけに限ったことではないのですが、特に後半からラストにかけて、ロマンスに関わる描写が非常に上品だと思います。
この映画では、バドがフランに向かって直接「愛の言葉」を投げかけるのはラストシーンまで一切ありません。
映画終盤でバドは、フランと不倫している「上司への部屋の貸し出しをやめる」ことによって、フランへの愛を示します。
一方フランも、「あれだけいつでも部屋を貸してくれてたのバドが、もう部屋を貸さないと言って会社を辞めた」と不倫相手の上司から聞くことによって、バドが仕事を辞めてまで部屋を貸さないと言うほど自分のことを思ってくれていたことに気付き、バドの元へ走ります。
この間接的な愛情表現によってバドがフランに愛を示し、フランもそれに応え結ばれるというのは非常に粋ではないでしょうか。
“Shut up and deal.”
私個人としては、このラストシーンにおけるフランのセリフこそ、この映画の傑作たる所以ではないかと思います。
二人の愛が成就し、二人がアパートの部屋で再会するラストシーン。
ここでついに、バドがフランに向かって「I love you.」と直接的な表現で愛を伝えます。
彼の言葉に対しフランは、テーブルにあったトランプを拾い上げ、「Shut up and deal.(黙って配って)」と笑って言うのです。
ここでトランプが登場するのはもちろん、映画中盤で寝込んでいるフランに対してバドが元気付けるため、トランプで遊ぼうと持ち掛けたシーンを踏まえてのものです。
「I love you.」への返答してはなかなかない返事ですが、だからこそかえって、二人の関係性の深さがよく表れていると思いますし、下手にフランも「I love you.」と返して幸せなキスをして終了などという終わり方に比べれば、圧倒的に爽やかではないでしょうか。
このラストの展開についてもう少し詳しく触れると、バドが「I love you.」と伝える手前、フランがバドと一緒になるという意思表示をする経緯も素晴らしいです。
ここでフランは、「自分の好きなことをするんだ」と言ったバドに対して、「私もよ」と答えることでバドの愛に応えます。
このやり取りはつまり、日本で言う「嫁入り」的な「あなたについていきます」的な返答ではなく、「自分の好きなことをする=あなたと一緒にいる」という、フランの主体性を大切にした愛の成就シーンとなっています。
これはもはや恋愛成就の形としては理想形ではないでしょうか。
制約の多さゆえに生まれる工夫
このようなエンディングが生まれた背景として、1960年代という時代を考えれば、「ヘイズコード」の存在が影響していたと考えられます。
ヘイズ・コード( Hays Code. the Breen Code や Production Codeとも呼ばれる)とは、かつてアメリカ合衆国の映画界で導入されていた自主規制条項である。アメリカ映画製作配給業者協会(のちのMPAA)によって1934年から実施され、名目上は1968年まで存続した。映画史上、この条項が実施される以前のハリウッド映画を「プレコード pre-code」期の映画と呼ぶことがある。
引用元:Wikipedia
しばしば誤解されるような検閲制度ではなく、一部の映画を不道徳だとして非難する団体などに対抗してハリウッド作品の上映を保証するため、業界側が自主的に導入したガイドラインである。後述するように、条項ではさまざまな描写が「禁止」とされたが、そうした描写を含む作品が条項の導入で全く作られなくなったわけではない。
この激しい自主規制コードの存在によって、当時のハリウッド映画は(例外もあるが)恋愛映画でも女性の肌の露出や性描写はご法度、キスシーンですら「一回に〇秒以内」といったような厳しいルールが敷かれていました。
しかし、こうした制約があったからこそ、後に名作と言われるような作品の多くは、その状況でもなお表現を諦めない作り手たちの工夫を見ることができます。
本作も、この特徴的なセリフによって、二人の身体的な接触なしに深い愛情を表現することに成功し、その印象深さから現在でもアメリカを中心に日常的に会話の中で使われる名セリフとして残ることになったのです。
現代にも通じる主人公バド
前述した通り、この映画はバドという主人公の人物像が非常に大きな魅力の一つになっています。
彼の人物像は現代にも非常に通じる部分が多いため、この映画がいつまでも古びないことにも繋がっています。
バドには「自分」が無い
本作においてバドは「自分が無い」人物として登場します。
映画冒頭、バドは上司が使い終わった自分の部屋に帰り、後片付けがてら彼らが置いて行った食べ残しや飲み残しを自分の夕食とします。
その後も、もう夜遅くだというのに別の上司から部屋を使いたいと電話が入ります。
バドは最初こそ拒んでみるものの、結局は上司の言う通り部屋を貸し出します。
そしてバドはそのせいで風邪を引いちゃったりします。
ギャグシーンになっていましたが、バドの隣人であるドレイファス医師から、「よくそんなに毎日違う女性と楽しんでいられるな、君が死んだら病院に検体してくれよ」なんて言われ、それを快諾しちゃったりします。
これらの描写から、映画序盤のバドというのはあまり「自分に興味がなく」、何かと「投げやり」なキャラクターとして登場しています。
保険会社勤務という設定
バドは、巨大な保険会社に勤めるサラリーマンです。
この保険会社は大企業であり、その大きさは、特殊な作りをしたセットを用いて実際よりもオフィスを広く見せたほどです。
この大企業勤務という設定も、バドの「自分の無さ」という特徴を補強しています。
バドはあの巨大企業で、毎日同じ時間にみんな同じようなスーツを着て出勤し、まさに社会の歯車が如く、ひたすらデータ入力のような業務に従事しています。
そんな状況の中、バドは社内の複数の上司に自分のアパートを貸し出しています。
彼がなぜあのようなサービスを行っているかと言えば、社内で出世ができるからで、なぜその出世のために自分のプライベートを切り売りできるのかと言えば、会社以外に自分の生きがいが無いからです。
会社での生活以外に自分の生きる意味を見いだせていないから、会社での出世(しかしそれは歯車がちょっと良い別の歯車になるだけ)こそが自身の原動力になってしまっているのです。
いかがでしょうか。
このような人物像はまさに現代的ではないでしょうか。
我々の暮らす日本で言えば、外見から言動まで金太郎飴のように同質的な就活生たち。
サービス残業や休日返上は当たり前で、しかもそれを労働者側からも受け入れてしまっているようなブラック企業体質(しかも出世できない)。
この映画は、上に挙げたような現代における社会の現実にも非常に通じているし、バドのような人生に対する態度は、自分を見ているようだと感じる方も少なくないのではないでしょうか。
ユダヤ系にルーツを持つビリー・ワイルダー監督
物語の舞台となる保険会社を通して映画全体に通底する、アメリカ的資本主義への懐疑的な目線というのは、もちろん意図して注がれているものだと言えるでしょう。
ビリー・ワイルダーはオーストリア=ハンガリー帝国生まれで、ナチスによる迫害から逃れるために渡米した人物です。
その後アメリカで「赤狩り(マッカーシズム)」が台頭するようになると、彼は反対派の一人として抗議活動を行いました。
このような彼の生い立ちを考えれば、彼はやはりアメリカという国家や、アメリカが代表する資本主義に対しては懐疑的な捉え方をしていると考えるのが自然でしょう。
「人間になれ」という言葉
ビリー・ワイルダー監督の資本主義に対する構えが最も表れているのは、バドの隣人であるドレイファス医師の存在です。
彼はその名前や話し方からわかる通り、ユダヤ系、少なくとも非アメリカ人です。
そんな彼が、保険会社勤務のサラリーマンとしてまさに資本主義の奴隷と化しているバドに対して、
「人間になれ」と言います。
そしてこの映画が描く物語を通して、バドは会社の上司にアパートを貸すことを止め、それどころか会社をも辞めてしまいます。
加えて、彼が会社を辞めた時点では、彼がアパートを貸さないこととしたのは、単にフランを不倫の呪縛から解放するためであって、自分がフランと結ばれることについては諦めています。
こうして全てを捨てたバドがアパートに戻り、「人間になるんだ」と言って引っ越しの準備を始めるのです。
一方フランも、バドの思いを知って、全てを捨てた彼へ会いにアパートへ走ります。
ここでフランは、今までの資本主義に縛られた生活を全て捨て「好きなことをするんだ」と言ったバドに対して、「私もよ」と言ってそんなバドと一緒にいることを決意するのです。
(先述したようにこの会話が素晴らしい)
このように、主人公二人が資本主義的な生活を捨て去り「人間になる」ことで、この映画はハッピーエンドを迎えるのです。
どうでしょうか。最高のエンディングではありませんか。
この映画を見るには
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おわりに
この映画は、「ラブコメ」的な映画があまり得意ではない方でも楽しめる映画になっていると思います。
なぜなら私がそうだったからです。
なのでここまで8000文字近くを費やしてこの映画の魅力を紹介してきました。
映画自体はモノクロでかれこれ60年以上前の映画なので、古い映画になじみのない方は取っ付きにくいイメージを持たれいているかもしれません。
しかし本記事の後半で紹介したように、毎日大企業に死んだ顔で出勤し、自分の代わりがいくらでもいるような業務をひたすらこなし、プライベートを切り売りしているような人生は「人間ではない」と主張してみせるこの映画は、非常に現代的ではないでしょうか。
あなたは今「人間になれ」ていますでしょうか。
もしそうでないと感じるなら、今すぐ会社を辞めちゃおう!
おわり
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