『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022) ネタバレ解説 感想|マルチバース化への警鐘を鳴らしたい

解説・感想
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作品情報

制作年2022年
制作国アメリカ
監督サム・ライミ
出演ベネディクト・カンバーバッチ
エリザベス・オルセン
ベネディクト・ウォン
レイチェル・マクアダムス
ソーチー・ゴメス
上映時間126分

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あらすじ

元天才外科医にして、上から目線の最強の魔術師ドクター・ストレンジ。
時間と空間を変幻自在に操る彼の魔術の中でも、最も危険とされる禁断の呪文によって“マルチバース”と呼ばれる謎に満ちた狂気の扉が開かれた──。
何もかもが変わりつつある世界を元に戻すため、ストレンジはかつてアベンジャーズを脅かすほど強大な力を見せたスカーレット・ウィッチことワンダに助けを求める。
しかし、もはや彼らの力だけではどうすることもできない恐るべき脅威が人類、そして全宇宙に迫っていた。
さらに驚くべきことに、その宇宙最大の脅威はドクター・ストレンジと全く同じ姿をしていて…。

引用元:公式サイト

「マーベル・シネマティック・ユニバース」(以下MCU)最新作です。
本作がシリーズ第28作品目になります。

本作を監督したのは『ダークマン』(1990)でおなじみ(あとは『スパイダーマン』(2002)シリーズとか『死霊のはらわた』(1981)シリーズとか)、サム・ライミです。
近年ではプロデュース職での活躍が目立っていた彼ですが、『オズ はじまりの戦い』(2013)以来、約9年ぶりに長編映画監督へカムバックしました。

もとはと言えば、サム・ライミ監督が「A級アメコミ映画」として『スパイダーマン』シリーズを成功に導いたことが、現在の映画業界におけるMCUの覇権に繋がったと言っても過言ではありません。

そんな21世紀アメコミ映画ブームの火付け役であったサム・ライミ監督がアメコミ映画に帰ってきたのですから、MCUファンのあなたも、徐々にMCUに疲れてきてしまったあなたも、結局チェックしないわけにはいきませんね。いきませんよ。

ということで、今回はMCUやマーベルコミックス文脈というよりは「サム・ライミ映画」としてどうだったかを中心に感想を述べるのと、加えて本題として、本作をもってしてもやはり拭い去れなかった「マルチバース」に対する懸念について警鐘を鳴らしていきたいと思います。

サム・ライミのサム・ライ味が炸裂

©Marvel Studios

今回、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)によって一旦大きな区切りがついた直後の作品で、しかもマルチバース使い放題ということで、サム・ライミがやりたい放題です。

製作発表時から『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』はホラー映画になると言われていました。
実際見てみると、確かにホラー映画テイストになっているどころかバチバチに「サム・ライミ映画」になっているではありませんか。

クロエ・ジャオ監督の『エターナルズ』(2021)の際にも強く感じましたが、フェーズ4以降のMCU作品は、もう10年以上続くシリーズの貫禄というのか、監督に最大限作家性を発揮させる姿勢がはっきりと見えています。

ケヴィン・ファイギとかいうバケモノプロデューサーのもと、監督以外のスタッフ陣によって「MCUらしさ」を担保するノウハウが十分蓄積されているということなのでしょう。
近年のMCU作品は、シリーズ作品の一つでありながらしっかりその監督の作品の一つとして仕上がっています。

先ほど挙げた『エターナルズ』で言えば、かなり具体的な「ラブシーン」の存在が、クロエ・ジャオ監督の見せてくれたMCUの新たな一面となっていましたが、本作でもサム・ライミ監督がMCUに新たな一面を加えてくれました。

それが「ゴア表現」「ホラー演出」です。
ゴア表現に関しては、明らかにMCU史上最高クラスだったのではないでしょうか。

序盤のクトゥルー神話を彷彿とさせる怪物との戦いでは目玉を抉るシーン。
イルミナティメンバーの一人ブラックボルトが『マトリックス』(1999)のネオのように自分の口を消され、自らの声によって頭が潰れるシーン。
別ユニバースのドクター・ストレンジが串刺しになって死ぬシーン。
サム・ライミ監督はなかなか好き放題やってくれています。

もっとサム・ライミのサム・ライ味が炸裂していたのはホラー演出です。
単なるホラー演出ではなく、まさにサム・ライミ映画らしいホラー演出のオンパレードでした。

具体的には、ホラーと言いながら正直段々とコメディ的に見えてくる演出の数々です。

ワンダが『リング』(1998)シリーズでおなじみ「貞子」よろしく関節をぐちゃぐちゃにしながら鏡から出てくるシーン。(お前いつの間にそんな技を身に付けてるんだよ)
ワンダが『キャリー』(1976)よろしく返り血だらけで足を引き摺りながら追いかけてくるシーン。(いやお前飛べるだろ)
などなど。

また、演じているのがジョン・クラシンスキーなばっかりにめっちゃ強キャラ感のあったミスター・ファンタスティックが瞬殺されるシーン。
というかそもそも「そんな魔女一人のドリームウォーキングなんか気にしてねえから」などと言っておきながら数分後には全滅しているイルミナティ
そして極めつけはドクター・ストレンジ同士の謎の「音楽魔法バトル」。(ファン〇ビもこういうのやってくれていいんだぞ)

この辺りは完全に笑いどころでした。
このホラーと言いつつもはやコメディ要素の方が強い的な作風はまさにサム・ライミ監督が手掛けるホラー映画の醍醐味でしょう。

さらに言えば、『死霊のはらわた』シリーズの主人公アッシュでおなじみブルース・キャンベルがカメオ出演し、自分が自分の手と格闘するという熱い『死霊のはらわた2』オマージュもかましています。

サム・ライミさん完全にやりたい放題です
スパイダーマン』シリーズではそこまで自分の好き放題はできず(と言ってもブルース・キャンベルを全作に出演させたりしてますが)、映画を大ヒットさせるという仕事に徹していたことを考えると、同じマーベルコミック原作映画で今回は好き放題やっているのを見ると、なかなか感慨深いものがあります。

多少無理のある話運びでもテンポで捻じ伏せる

©Marvel Studios

本作はマルチバースが舞台であるということや、関連作品が多いこともあって、専門用語が多かったり話も複雑になりがちです。
しかし本作はテンポが非常に速いため、展開に少し無理があってもそのテンポの良さで捻じ伏せ、上映時間150分コースになっても良さそうなところを126分でまとめています。

特にそのテンポの速さを実感するのはワンダによる「カーマ・タージ襲撃」シーンでしょう。
ストレンジがワンダの元を訪れた際、二人は敵対関係となりワンダがカーマ・タージ襲撃を仄めかします。
すると次のシーンではカーマ・タージでの戦闘準備、するとワンダがもうカーマ・タージにやって来るではありませんか。

このテンポ感です。

ソーチー・ゴメス演じる新キャラクター「アメリカ・チャベス」登場に関しても、とりあえずいきなり冒頭から登場させたり、彼女の過去というのも、謎の「記憶再生装置」(マルチバースだから謎ガジェットも唐突に出し放題)を使って大事なとこだけ切り抜いて提示します。

このテンポ感です。

イルミナティ登場からの即全滅というスピード感も気持ちの良いものがあります。

このテンポ感があれば、「お前そんなにクリスティーン命だったのか…」「ワンダはドラマ以降なんだか急に母性に狂いすぎではないのか」「モルドってもっとボスキャラになるのかと思ってたけど…」などというツッコミの入る余地はありません。ありませんよ。

まさにこういう若干の強引さのようなところが、DCには無くてマーベル映画には漂っている「陽キャ感」の一因で、逆に気軽に見られる映画シリーズにさせているのだと思います。

熱い「ディズニープラスへの加入強要」問題

©Disney

まあ前置きはこの辺にしておいて(笑)
今回私が本作を見て本当に言いたいのはここからです。

本作の位置づけとしては、『MCU:フェーズ4』の5作目、『ドクター・ストレンジ』シリーズの2作目、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の続編、ドラマ『ワンダヴィジョン』の続編であり、関連作としてはアニメ『ホワット・イフ…?』との繋がりもあります。

これだけ関連作品が存在している中で、本作はこれ以上ないほど上手にこれらを捌いたと思います。
ですが、一方でMCUに潜む懸念は拭い去るどころか徐々に表面化してきていると思います。

既に明言されていたことではありますが、ついに本作から、MCUのメインストーリーを追いかけるためには定額制ビデオ・オン・デマンドサービス「Disney+」が製作するオリジナルドラマシリーズやアニメシリーズを視聴していなければ100%の理解はできなくなる、という領域に突入を開始しました。

本作においては、『ホワット・イフ…?』は未見でも何とかなる範囲だったと思われますが、『ワンダヴィジョン』に関してはこのドラマの顛末を知っていないと、ワンダの行動や外見の変化、突然出てくるダークホールドというアイテムなどに置いて行かれる可能性が高いです。

そしてこの傾向は増す一方であることがもう確定しています。
現に「二代目キャプテン・アメリカ」「ラ・コンテッサ・ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・ラ・フォンテーヌ」「征服者カーン」「ケイト・ビショップ」「エコー」「ムーンナイト」「ミズ・マーベル」「シーハルク」などなど…オリジナルドラマで誕生が描かれた or 描かれるキャラクターが続々登場し、今後の劇場用映画に絡んでくることが必至です。

今後のMCUを完璧に追いかけたいのであれば、映画館に映画を見に行くだけでは不十分で、各自Disney+を契約し毎月990円(税込)を払いながら、全6~8話のドラマシリーズを次々に見ていかなければなりません。

もちろんこの方針については何年も前から知っていたことではありますが、いざ実際にMCUというコンテンツを楽しむために自分が払わなければならない財や時間が年々増加していくという現実に直面してみると、一気に冷静になってしまう自分がいます。

「果たしてこのコンテンツに未来永劫自分のお金と時間を費やし続けていいものなのか」と。

資本主義の観点から言えば、散々議論を重ねた上での経営判断であって、これが企業の利潤を最大化するためには最適な方向性なのでしょう。

しかし、我々観客や文化的な側面から見ると、この状況が「映画という文化」に対して大きなダメージとなっていく可能性も考えられないでしょうか。

本来映画というのは、映画館に行って見さえすれば誰もがその映画を100%楽しめるものでした。
シリーズものであったとしても、過去作を一度見返せば最新作を100%楽しめました。
それがこれからは、映画を楽しむために映画鑑賞とは別で企業に月額料金を払い続け、映画を楽しむために映画とは別のコンテンツも消費し続けなければ、最新映画を100%楽しむことは不可能となる状況が作り出されました。

要するに、最新の映画を楽しむためのハードルがどんどん上がってきていると同時に、映画本来が持っていたエンターテインメント性を貶めることにも繋がっていると感じます。
既に調教済みのファンの方々であれば問題ないかもしれませんが、映画を100%楽しみたければ映画以外のコンテンツにお金と時間を費やさなければいけないという状況で、人々は映画を見たいという気になるのでしょうか。

現在このようなビジネスモデルを展開し始めたのはディズニーのみですが、このモデルが大成功となれば、他の企業もこぞって追従しようとするでしょう。
「あの映画を楽しむためにはあのサブスクに加入しなきゃダメ」「この映画を楽しむためにはこっちのサブスクに加入しなきゃダメ」なんて状況が来たら、今ほど映画というエンターテインメントを好きでいられるのか自信が無くなってきます。

今のところ私は劇場用映画は全作品鑑賞、Disney+に加入中でMCUに含まれるドラマも全て鑑賞しており、一応自分はまだMCUのファンであるとは思っていますが、今回の映画を見ながらいよいよこのような思考が自分の中に生じ始めました。

もしやそろそろ私には「MCU卒業」の時が近づいているのか…
そんな気持ちにさせられた本作でした。

本当に大丈夫なのかマルチバース

©Marvel Studios

MCU長編映画の前作にあたる『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(以下NWH)にて、「マルチバース」という概念が本格的に描かれ始めました。

『NWH』、その後こちらはソニー・ピクチャーズ製ですが『モービウス』、そして本作、とここ最近マルチバースが立て続けに描かれてきました。

その結果、「マルチバース」というテーマを扱うことの難しさや「マルチバース化」がもたらす弊害というものが徐々に顕在化してきていると思います。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム

この映画を鑑賞直後は、往年の「スパイダーマン映画」パワーもあって大きな感動を享受していましたが、冷静に考えてみれば既に「マルチバース化」に潜む危険性が存在していました。

それは、「マルチバース化によって新作のために過去の作品を次々と消費してしまうのは果たして良いのか」という問題です。

この映画では『スパイダーマン』シリーズのピーター、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのピーターが登場します。
これに対して厳しい見方をすれば、彼らはそれぞれのシリーズでれっきとした主人公で、彼らの物語があったにもかかわらず、『ホーム』シリーズのピーターのために、それも後から、脇役として登場させられ、消費されてしまう形になっているのです。

例えば、アンドリュー・ガーフィールド演じるピーターの件です。
『アメイジング』ユニバースの中でピーターは、グウェンの死に対して自分が彼女を救えなかったことに責任を感じています。
この件に対して、NWH本編の中で『ホーム』シリーズのMJを助けることでピーターに救いを与えました。
私も上の感想記事内で、これを「救い」として受け取っていますが、やはりこれは『ホーム』ユニバースのピーターの側に立った見方になってしまっています。

『アメイジング』ユニバースのピーター側から考えれば、別ユニバースのMJを助けたからグウェンの件を乗り越えるというのは、MCUにとって都合の良い展開でしかないと言える余地があります。

つまり、グウェンを助けられなかったというその経験も込みで『アメイジング・スパイダーマン2』であり、アンドリュー・ガーフィールド版ピーターだったはずなのに、マルチバース化によって後から、別ユニバースである『ホーム』ユニバースが思う「『アメイジング』ユニバース版ピーター像」に書き換えられてしまっているということです。

このように、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、「マルチバース化」によって過去の作品を後からいくらでも改変・修正できてしまうということ、逆に言えば、どんな作品も「マルチバース化」によって今後どうとでも改変・修正され得るということを示してしまった作品でもあるのです。

モービウス

この映画が露呈させたマルチバース化による他社製映画とのクロスオーバーの弊害は、映画製作側に関する問題でした。
詳しくは上の記事内で述べているので、ここでは結論だけ記しておきます。

この映画では、「クロスオーバーする作品の都合に振り回され、辻褄合わせを優先せざるを得なくなった結果、作品自体のクオリティが下がってしまう」という問題が露呈しました。

今後マルチバース化によって相互に関連する作品がますます増えていくと、このような問題も同時に増えてくるはずです。

今回はディズニーとソニーという別々の会社が製作する映画同士だったために、この問題が修正しきれなかった面はあると思いますが、ディズニーが今後も一切ボロを出さないかというと、そうは言い切れないと思います。

具体例を挙げると、まだ矛盾と断じることはできませんが、本作にて正式にMCUの舞台となっているユニバースが「Earth-616」であることが明言されました。
これまで、2008年発売のマーベル公式ハンドブックにMCUの舞台が「Earth-199999」だと記載されていたことから「MCU=Earth-199999」だと信じられていましたが、今回「Earth-616」に変更となりました。
ちなみに「Earth-616」は原作コミックシリーズのメインユニバースと同じです。
この変更理由についてはまだ特に説明されていません。

また、これに関連して『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019)では、ミステリオが「ここはEarth-616だ」と発言しています。
映画公開当時は「MCU=Earth-199999」と認識されていたため、この発言は原作コミックファンへの目くばせだと考えられていましたが、今回正式に「MCU=Earth-616」となったためにミステリオの発言が真実になってしまいました。

これが矛盾なのか、あるいは何かの伏線となるのかまだ不明であるうえ、まだまだかわいい矛盾点に過ぎませんが、今後作られていく作品は、あらゆる過去作と整合性を取らなければならず、MCUがどこまでやり切れるのかは心配な点でしょう。

そして本作

映画のタイトルに「マルチバース」を入れるくらい大々的にマルチバースを取り入れた本作は、「何でもアリ」なマルチバースは、「何でもアリ」であるがゆえに、よく考えて使用しないと「何でもアリすぎ」て逆に映画内のキャラクターへの愛着、ひいては興味が失われていくということが実感できた作品だと思います。

本作で大変目立っていたのは「キャラクターの使い捨て」です。
一部から「カメオバース」と呼ばれだしている「Earth-838」にて、サプライズ的に登場した「ホワット・イフ…?」で登場したキャプテン・カータージョン・クラシンスキー演じるミスター・ファンタスティック、そしてパトリック・スチュワート演じるプロフェッサーXなど、ヒーローチーム「イルミナティ」の面々を皆殺しにしました。

こんなことができるのはもちろんマルチバースだからです。
壊滅したのは単に「Earth-838」のイルミナティであって、再度イルミナティを登場させたければ別ユニバースから登場させればなんてことはないわけです。

「マルチバース化」によってキャラクターをいくらでも生産・消費することが可能になり、キャラクターの命は軽くなってしまいました。

「そういうユニバースがあった」ということにすれば、いくらでも設定を後付けしたキャラクターを登場させることができ、そのキャラクターを存続させようが退場させようがもはややりたい放題です。

ストーリー展開の自由度は無限大ですが、あまりにも自由過ぎてこれから登場する新キャラクターたちへの愛着や興味は湧きにくいような気がします。

作り手側はもちろんマルチバースを慎重に扱っていくだろうとは思いますが、実際には映画がそのように振る舞いをしないにしても、観客側に「何が起きてもどうせ別のユニバースがあるし」的な思考を植え付けたという事実は、今後のMCUの見方に少なからず影響を及ぼしていくのではないでしょうか。

きっと大丈夫だマルチバース

©Marvel Studios

マルチバースに関してかなり悲観的な意見を述べてきましたが、それでもある程度は楽観視しても大丈夫な面はあると思います。

それは、今後のMCUはなにもマルチバースだけを軸に展開していくわけではない(たぶん)からです。

マルチバースにまつわる冒険を繰り広げるのは、今のところドクター・ストレンジやロキ、アントマン一行になると思われます。

MCUフェーズ4が広げている風呂敷の方向性はこれだけではなく、新キャプテン・アメリカやバッキ―率いていきそうな「新アベンジャーズ」路線、ホークアイやエレーナ・ロマノフが率いていきそうな「ニューヨーク」路線、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーやエターナルズ率いきそうな「宇宙」路線、ムーンナイトやブレイドが率いていきそうな「スーパーナチュラル」路線などなど、最終的には「宇宙」「マルチバース」に収束していきそうですが、しばらくは様々な方向性で作品が作られるようなので、すべての作品でマルチバースが展開してもう一人の自分と対峙する、みたいな展開になるわけではなさそうです。

とにかく私の「マルチバース」に対する危惧が全て杞憂に終わることを切に願ってやみません…

おわりに

サム・ライミ映画として、また久々のIMAX 3D鑑賞ができたという点で十分楽しめたのですが、今後のMCUへの不安は解消されるどころか増していく印象にあります。

上で述べてきたように、MCUどころか今後の映画文化自体が若干心配になっています。

まあ、なんかヤバそうだったら「ダーク・ユニバース」が世界一人気になっているユニバースにドリームウォーキングでもして事なきを得ましょう。

おわり

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