作品情報
制作年 | 2019年 |
制作国 | フランス イタリア |
監督 | ロマン・ポランスキー |
出演 | ジャン・デュジャルダン ルイ・ガレル グレゴリー・ガドゥボア |
上映時間 | 131分 |
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あらすじ
1894年、フランス。
引用元:公式サイト
ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスが、ドイツに軍事機密を流したスパイ容疑で終身刑を宣告される。
ところが対敵情報活動を率いるピカール中佐は、ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見。
彼の無実を晴らすため、スキャンダルを恐れ、証拠の捏造や、文書の改竄などあらゆる手で隠蔽をもくろむ国家権力に抗いながら、真実と正義を追い求める姿を描く。
『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)、『チャイナタウン』(1974)、『戦場のピアニスト』(2002)の監督や『ラッシュアワー3』(2007)に出演でおなじみロマン・ポランスキー監督最新作です。
本作は、監督の過去作『ゴーストライター』(2010)と同様ロバート・ハリスによる原作小説の映画化になります。
フランスのアカデミー賞こと第45回セザール賞にて、脚本賞、衣装デザイナー賞、最優秀監督賞を受賞しています。
ヨーロッパ映画という括りで開催されるヨーロッパ映画賞では、受賞は逃してしまったものの、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞、最優秀脚本賞にノミネートされました。
ただし皆さんご存知の通り、このロマン・ポランスキー監督という人物はアメリカからは完全追放されているため、アメリカでは映画賞でのノミネートどころか上映すらされませんでした。
そんなこともあって日本での公開もこれだけ遅れてしまったのかなと想像しますが、せっかくロマン・ポランスキー最新作が劇場で見られる機会は逃すまいと見に行って参りましたので、見た感想を紹介していきます。
歴史的背景のおさらい
本作は「ドレフュス事件」の映画化です。
学生時代に世界史を勉強された方であれば、この名前くらいは記憶されているかと思いますが、内容まで詳細に記憶されている方はそれほど多くないかと思います。
しかし、本作はこの事件の内容をある程度理解していないと、軍や民衆の行動原理が少々わかりにくいと思います。
というわけで、これから本作を見ようとしている方、もしくは見たけど歴史的背景がイマイチ分からなかった方々に向けて、当時の歴史を簡単に振り返っておきます。
ナショナリズムの台頭とドイツ帝国の誕生
「ドレフュス事件」当時のフランスを語るには、同時代のドイツ帝国の動きを把握しておく必要があるので、キリよくナポレオン戦争後あたりからざっくり追っていきます。
まずはナポレオン戦争(1799~1815)がきっかけとなってヨーロッパ中に広まることとなったナショナリズムの台頭に関してです。
ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が当時ヨーロッパの大半を征服できるほど強力だったのは、フランス軍の大半を構成したのがフランス国民からなる「国民軍」だったからだと言われています。
当時ヨーロッパの絶対王政諸国が持っていたのは傭兵を主体とした軍隊であったため、戦況が不利になると逃走したり寝返ったりということが当たり前に起きていました。
それに対しフランス軍は、フランス革命を経た後のため、自分たちの革命によって手に入れた共和国を守ろうと一般のフランス国民が戦争に参加することになったのです。
この「仲間たちのために」「自分たちの国のために」死ぬまで戦うマインドが、フランス軍の圧倒的な強さの源になっていたのです。
ナポレオン戦争を通して、こうしたフランスの自由主義や国家主義といった絶対王政に対する革命思想を目の当たりにしたヨーロッパ諸国の中に「自分たちの民族のための自分たちの国家を作る!」というナショナリズムが台頭するようになりました。
実際ヨーロッパ各国で自由主義運動が加速し、ブルボン朝が復活してしまったフランスでは「7月革命」(1830)が起き、ギリシアなんかはオスマン帝国から独立(1829)を果たします。
『オフィサー・アンド・スパイ』を見る際は、まずはこの「フランスはフランス人の国である」というようなナショナリズムが19世紀のヨーロッパ中で、とりわけフランスには浸透しきっていたということを押さえておくべきでしょう。
ドイツ統一振り返り
それでは次にドイツの歴史を振り返ります。
ナポレオン戦争終了後、1815年に成立したウィーン議定書にて、神聖ローマ帝国は消滅し、オーストリアを盟主とする国家連合「ドイツ連邦」が誕生します。
その後、ドイツ連邦加盟国だったプロイセン王国が勢力を拡大していきます。
そんな中現れたのがビスマルクです。
彼が「現在の問題は演説や多数決によってではなく、鉄と血によってのみ解決される」でおなじみ「鉄血政策」を展開し、プロイセン王国主導によるドイツ統一(=小ドイツ主義:ドイツ人だけのドイツを作る)のために動き出します。(↔大ドイツ主義=オーストリアを中心とし、北イタリアやハンガリーなども含めた統一)
この政策で代表的な戦争の一つが「普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)」(1866)です。
この戦争に勝利したプロイセンはドイツ連邦を解体し、オーストリアを排除した、プロイセンを中心とする「北ドイツ連邦」を成立させます。
そして決定的だったのが1870~71年の「普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)」(1870~71)です。
ビスマルクはスペインの王位継承問題を上手いこと利用してフランスを挑発し(エムス電報事件)、フランスと戦争を行います。
この戦争でも勝利したプロイセンは、フランスを徹底的に貶めます。
まずはセダンの戦い(1870)にてフランス軍を全面降伏させ、ナポレオン3世を捕虜とします。
翌年、ついにプロイセンの思惑通り「ドイツ帝国」が誕生するのですが、ドイツ皇帝の戴冠式をヴェルサイユ宮殿で行いました。
さらにはフランクフルト講和条約にて、50万フランの賠償金を課し、鉄鉱石と石炭の産出地であった「アルザス=ロレーヌ地方」をフランスから割譲させました。
その後も、フランスからの報復を回避したいドイツは「ビスマルク外交」を展開し、ドイツ・オーストリア・イタリアによる「三国同盟」やドイツ・ロシア間の「独露再保障条約」を結ぶことでヨーロッパ内でフランスを孤立させました。
こうした背景があるため「普仏戦争」以降、ドイツはフランスから徹底的に恨みを買っているのです。
このドイツのフランス関係性は頭に入れておくべきでしょう。
フランス国内情勢振り返り
続いてフランスの国内情勢です。
ナポレオン戦争後、この戦争によって広まった「自由主義」や「国家主義」を恐れた君主たちの中で「保守反動」が起こります。
ここで率先して動いたのがフランスでした。
戦争責任から逃れたいフランスは、「我々も革命やナポレオンに翻弄された被害者である」と言うために、フランス革命前の領土や主権を正当とする「正統主義」を提唱し、フランスでは「ブルボン王朝」が復活します。
しかし国民にしてみれば、せっかく革命したのに革命前の状況に逆戻りされるのは困るため、王への反発はどんどん強まっていきます。
その後、「7月革命」や「2月革命」などいろいろあって(詳しくは教科書)、一瞬だけ実現した「第二共和政」での国民投票によってルイ=ナポレオンが「ナポレオン3世」として皇帝に即位し、「第二帝政」(1852)が始まります。
初期は圧倒的な人気を背景に独裁体制を敷けたのですが(パリを綺麗に整備したりパリ万博を開催したり、アフリカ大陸で植民地を広げたりフランスパワーを誇示した)、やはり徐々に国民の中にある自由主義的思想が顔を出し始め、独裁体制は不安定になっていきます。
そこで人気取りのために「メキシコ出兵」(1861~67)を行うも、南北戦争を終えたアメリカに反発され失敗します。(戦争をすると支持率が上がるのは世の常ですからね)
そしてもう後に引けなくなったナポレオン3世は、フランスの権威を維持するためには隣に巨大な統一国家が成立することは避けたいと考え、当時プロイセンが進めていた「ドイツ統一」を断固阻止するという方針を打ち出します。
それをビスマルクに上手く利用されてしまい、プロイセンの挑発に乗った結果、「普仏戦争」(1870~71)で敗北を喫し第二帝政は崩壊。
フランスの隣には「ドイツ帝国」が誕生し、フランスでは第三共和政が始まります。
ドイツ史の振り返りで述べた通り、この「普仏戦争」によってフランスはドイツに対して強い恨みを抱くようになりました。
「普仏戦争」に敗れ、第三共和政となったフランスでは「もう王政には戻りたくない」と考える左翼の「共和派」と「絶対ドイツに復讐したい」と考える右翼の「王党派」との対立が激しくなります。
この対立は極めて激しく、共和派によって「第三共和政憲法」が制定されるもわずか1票差での可決であったり、ブーランジェ将軍による王党派のクーデター未遂(ブーランジェ事件 1887~89)が起きたりなど、情勢は混乱を極め、国民が真っ二つに分断されていました。
また、もう一つ留意しておきたいのは「カトリック教会」の存在です。
フランス革命(1789~1795)以降、自由主義思想の広まりと共に政治的影響力を失いつつあるカトリック教会は、その後も保守勢力の中心として政治に介入していました。
まとめると、この後いよいよ勃発する「ドレフュス事件」を見る際は、「フランスはフランス人の国だとするナショナリズムが浸透」「対ドイツへの強い敵意」「既に国民が共和派と王党派に二分され激しく対立している」「保守派の中心にはカトリック教会がいる」という情勢を頭に入れておくと、今回の『オフィサー・アンド・スパイ』の中で起きる出来事が飲み込みやすいと思います。
ドレフュス事件勃発
長くなりましたがついに本作の描く「ドレフュス事件」が発生します。
アルザスのユダヤ人織物業者出身のドレフュス大尉が、軍事機密をドイツに流したスパイだとして1894年に反逆罪で有罪判決を受けます。
この時、ドレフュス大尉がユダヤ人だからという理由だけで、あまりにあっさりスパイだと断定してしまったのは、何十年とフランス国内に浸透してきた「ナショナリズム」と、当時は東欧からのユダヤ系移民が徐々に増加していたことも相まって、多くのフランス人がユダヤ人に対して反感を持っていたことが背景にあります。
また、普仏戦争でドイツに取られたアルザス出身のユダヤ系フランス人がドイツのスパイだったということになれば、対ドイツ強硬派の支持を得るには格好のネタになるため、フランス国内における「対独復讐心」の存在も大きいでしょう。
ちなみにですが、有罪判決を受けたドレフュスが送られた「悪魔島」は、あの名作『パピヨン』(1973)でスティーブ・マックィーン演じるパピヨン(アンリ・シャリエール)が脱獄した(とされているがどうやら嘘らしい)ことで有名な監獄です。
2017年にチャーリー・ハナムとラミ・マレックのコンビによる同名リメイクがありますが、オススメなのはスティーブ・マックィーンとダスティン・ホフマンのコンビによる1973年版なのでよろしくお願いします(?)
映画でも描かれていた「ドレフュス事件」のもう一つ印象的な光景は、エミール・ゾラがかの有名な「私は弾劾する」という記事を発表した際に沸き起こった民衆の暴動です。
この映画では、一般国民たちの描写は薄めであるため、ゾラによるフランス軍批判に対していきなりブチ切れている民衆の反応に若干戸惑うかもしれませんが、あのような激しい反応の裏には、国民の共和派と王党派との二極化と、政治的影響力を強めたいと考えている「カトリック教会」が、フランス軍を支持しながら「反ユダヤ主義」を強く煽っていたことが影響しています。
一応、映画では描かれなかった教科書的な「ドレフュス事件のその後」まで記載しておくと、フランスではこの事件をきっかけに、勢力として一体化できていなかった共和派が、過激な右派勢力に対抗するため「急進社会党」を結成、これまで政党を持っていなかった社会主義者は「フランス社会党」を結成します。
カトリック教会の政治介入に対しては、こうした動きもあって、1905年に政教分離法が制定されました。
このように、フランスでは「ドレフュス事件」をきっかけに政治的な近代化が進みだしました。
一方で「ドレフュス事件」は当然ユダヤ人コミュニティにも影響を与えます。
この事件を目の当たりにしたユダヤ人たちは「どの国家もユダヤ人を守ってはくれないのだ」と実感し、パレスチナにユダヤ人国家を作ろうという「シオニズム」運動が始まりました。
以上が「ドレフュス事件」に関する世界史の復習でした。
キャラクターたちに対して距離を取った語り口
歴史の話はこの辺りにして、『オフィサー・アンド・スパイ』という映画自体の話に移りたいと思います。
まず本作は監督本人も各所で述べていましたが、かなり史実に忠実な作りを心掛けています。
私も教科書やWikipediaに書かれている以上の情報はよく知りませんが、ドレフュスやゾラなどは見た目からかなり本人に寄せているし、冒頭のドレフュスが軍の位を剥奪されるシーンなどは、当時の光景を描いたイラストを忠実に再現しています。
このアプローチは映画のルックだけには留まっていません。
本作の宣伝では「巨大権力と戦った男の世紀の逆転劇」というような形で盛り上げていますが、実際に映画を見てみると、そこまでドラマティックな作劇は行われていないことが分かります。
娯楽性はしっかり取り入れながらも、物語の語り口は特定の人物に特別偏った肩入れをしているわけではなく、とても理性的に史実を描こうという姿勢が見て取れます。
ピカールは別にヒーローではない
本作は、実際にドレフュスのスパイ容疑が冤罪であることを突き止めたピカール大佐を主人公にストーリーが展開します。
役割的には国家ぐるみの冤罪事件を暴いた人物なので、いくらでも彼をヒーローとしてドラマティックに脚色できそうなものを、この映画は彼の行動をかなり淡々と描いており、むしろヒーローとは言えない人物として登場しています。
まず何より大きいのは、彼自身ユダヤ人への嫌悪感は「ある」ということです。
彼の正義感は、「民族的差別を許さない」というものではなく「ユダヤ人は好きではないが、だからと言って冤罪は良くない」というものです。
ユダヤ人やドレフュスに思い入れがあるのではなく、権力によって封殺された「真実を明らかにしたいだけ」という思いで権力と戦っている人物でした。
なので、基本的に彼は「きちんと正しく調査した結果ドレフュスがスパイなのであれば、別にドレフュスはどうなったって構わないという」スタンスなのです。
実際、ドレフュスがピカールに不当な人事評価を訴えたラストシーンでは、「それは仕方がない」として一切対応せず、映画によればその後二人が会うことは二度とありませんでした。
加えて彼自身バリバリ不倫しているということもあり、とにかく彼はヒーローでも何でもありません。
自分なりの正義を徹底して貫き通したという点では立派な人物ですが、決してユダヤ人の味方だったわけではないという少し距離を取った人物描写が印象的でした。
ドレフュだって別に無垢な存在ではない
この距離感はドレフュスにも適用されています。
映画冒頭、「あなたが私の成績を低くつけたのは私がユダヤ人だからではないのか」と訴えたドレフュスに対してピカールが否定するシーンがありました。
この時点では、どちらの意見に理があるか判断が付きませんが、本作を通して見ると、ピカールの発言に嘘はないのであろうことが分かります。
ピカールはユダヤ人への嫌悪はあるものの、その感情を完全に切り離し、ただ真実を明らかにするために命をも懸けられる人間です。
そのピカールが「成績に人種的偏見は含んでいない」と述べているので、これはその通りだと考えるのが妥当でしょう。
つまり、ドレフュスの成績が悪かったことに人種的偏見は関係なく、単にドレフュス自身の能力の問題だったということです。
ということは、ドレフュスもドレフュスで、自分にとって都合の悪いことをすぐ人種差別に依拠させがちであるということがさりげなく分かります。
この映画は、一番の被害者であるドレフュスに対しても一歩引いた描き方を行っており、「人間やその人間が取る行動は、全て善悪どちらかだけに分けられるような単純なものではない」という、若干のアメリカ的リベラルへの懐疑的な目線を感じなくもありません。
アンチカタルシスなエンディング
この映画でもう一つ印象的なのは、全く感動させる気のないエンディングでしょう。
史実自体が少々歯切れの悪い顛末なので仕方ないですが、この映画ではドレフュスがついに無罪を勝ち取る瞬間はテロップで終わらせます。
また、映画のラストシーンは、制度の改善を求めたドレフュスに対してピカールが一切手を差し伸べず、「その後彼らが会うことは二度となかった」というあっさりとしたテロップで終わります。
このあえて観客を感動させないエンディングというのも、この映画自体が主人公ピカールのスタンスと同様に、「政治的メッセージを主張することよりも端的に史実を明らかにする」という姿勢の表れだと思います。
強いて言えば「この映画を通して今ドレフュス事件を振り返らせる」ことこそが政治的メッセージであるということでしょう。
「私は弾劾する」
本作はどの人物にも肩入れをしていないと述べましたが、ただ唯一少し肩入れしていると思われるのがエミール・ゾラです。
この映画のエンディングに感動はほとんどありません。
ではどこで一番の映画的なカタルシスを得られるかと言えば、本作の原題にもなっているように、エミール・ゾラが「私は弾劾する」という記事を発表したシーンです。
本作において、唯一肩入れしていると思われる人物が物語の主役であるピカールやドレフュスたち軍人ではなく「作家」のゾラであるという、物語やアートを重要視する構えは、淡々と史実を明らかにしていく語り口の本作において最も作家性が表れている部分だと思います。
この辺りは、作家を主人公にしていた『ゴーストライター』(2010)や『告白小説、その結末』(2017)、音楽家を主人公にした『戦場のピアニスト』(2002)など、特に「史実」や「ユダヤ人問題」という本作との共通点の多い『戦場のピアニスト』を強く思い出すところではないでしょうか。
この話は昔話でも遠い異国だけの話ではない
この事件が今映画化されたことには非常に大きな意味があります。
なぜなら今この事件を見ることで、フランスだけでなく世界の多くの国で、もちろん日本だって、現在がこの映画が描く19世紀フランスと大差ない(場合によってはもっと酷い)状況にあるのだということを思い知ることができるからです。
フランス
本作の舞台となっているフランスはというと、2022年4月に行われた大統領選では、結果としては(一応)中道派であるマクロン大統領が勝利したものの、対立候補であった「国民連合」のルペン候補が、一時は勝利予想も出てくるほど人気を集めている現実があります。
ルペン氏率いる「国民連合」は、日本で報道されていたような「極右政党」は少し言い過ぎかもしれませんが、非常に保守的な政党です。
EU法よりもフランス法を優越させるという主張や、移民問題に対しては、血統主義に基づく自国民優先原則を明確に打ち出しています。
アメリカにトランプ大統領が誕生した時のような流れが、アメリカよりずっと社会民主主義的であったはずのヨーロッパ、フランスでも着実に進行しています。
アメリカ
現在アメリカでは、19世紀のフランスが行っていたユダヤ人排斥と引けをとらないような人種問題が頻発しています。
とりわけ昨今重大なのは「無差別銃乱射事件」の多発です。
アメリカでの「マス・シューティング=銃乱射事件」の定義によれば、同じ時間と場所において4回以上の銃撃を行ったものを「マス・シューティング」と呼んでいます。
2022年6月現在で言えば、基本的にはほぼ毎日、日によっては一日に複数件アメリカのどこかでマス・シューティングが行われています。
そしてその中でも世界中に注目されたのが、2022年5月14日にニューヨーク州バッファローのスーパーで行われた、18歳の白人少年による黒人を狙ったマス・シューティングです。
このマス・シューティングに関して様々な場所で論じられたのが「グレート・リプレースメント理論」です。
グレート・リプレースメント理論は陰謀論の一種で、白人の地位を非白人の地位に「置き換える」世界的な動きが起きていると考えるもので、多くの場合その黒幕が「ユダヤ人」であると考えられています。
ちなみに、グレート・リプレースメント理論のルーツは、フランス人作家ルノー・カミュによって2011年に発売された『Le Grand Replacement』であると言われています。
アメリカにおける人種問題の深刻さは既に多くの方がご存じだとは思いますが、もはや19世紀のフランスよりも悪化していると言っても過言ではない有様になっているのが現在のアメリカです。
日本
日本に暮らす我々がこの映画を見て最も目を背けてはいけない点は、軍や国家という統治権力による「隠蔽・捏造・改竄」でしょう。
代表的なものと言えば戦時中の「大本営発表」などがありますが、それは戦争中だからやって当たり前だとしても、日本の政治権力の「隠蔽・改竄」が明らかになった事件で近年最も有名なものと言えば、もちろん「森友学園問題」でしょう。
「ドレフュス事件」のように、この事件に関わった人の中で死人が出てしまったという結果も似ています。
「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい」と述べた安倍晋三元首相が、その後散々二人が、特に妻の安倍昭恵氏がゴリゴリに関わっていた証拠が出たにも拘わらず、まだ国会議員を辞めていないのが今の日本の政権です。
また、「捏造」に関しては「袴田事件」という、被告に死刑が確定したものの冤罪の確率が極めて高い事件で実績があります。
この事件で、検察による供述の捏造が発覚し、有罪判決の決め手になった衣服の証拠品についても捏造の疑いがかけられていますが、検察は今でも捏造を否定しています。
このように、19世紀のフランスで行われていたような「隠蔽・捏造・改竄」は日本においても現在進行形で行われています。
日本の場合さらにマズいのは、「ドレフュス事件」で言えばゾラの公開質問状を掲載した「オーロール紙」、アメリカで言えば『大統領の陰謀』(1976)でウォーターゲート事件を暴いた「ワシントン・ポスト紙」のように、「国家権力が暴走した時にそれを暴く」というジャーナリズムの本義を、日本のメディア、特にマスメディアが貫徹するのは極めて困難な仕組みになっているという点です。
その理由としては「記者クラブ制度」などが大きな要因として存在していますが、この話はまたの機会にします。
まとめると、この映画が描いたような権力の暴走は、ヨーロッパとはかけ離れた場所にある日本でも、今も我々の目の前で日々起きているのだということを改めて頭に入れる必要があるということです。
作者と作品を分けられるか
最後に本作を語るうえでもう一つ避けて通れない話題について触れて終わりにしたいと思います。
それはもちろん、本作を監督したロマン・ポランスキー監督に関してです。
今更改めて紹介するまでもありませんが、彼は1977年に当時13歳だった少女へ淫行に及んだ嫌疑をかけられ逮捕、有罪判決を受けたものの釈放中に国外逃亡、その後は市民権を取得したフランスで活動を続けています。
2002年には『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞したり(式には欠席)しましたが、その後上記の件とは別で被害者であると訴える女性からの告発や、アメリカで起こった「#MeToo」ムーブメントの影響もあり、2018年には映画芸術科学アカデミーから除名、そのままアメリカ映画界からは完全追放となりました。
そのため、今回の『オフィサー・アンド・スパイ』もアメリカでは劇場公開されていません。
一方ヨーロッパでは、もちろん抗議運動等は起きていますが、最初に紹介した通り本作は複数の映画賞でノミネートや受賞をしており、アメリカよりも「作者本人の行動や人間性」と「その人が作る作品」とを切り離して考えるという価値観が顕著に表れています。
この差に関して、どちらが正しいなどとここで断じる気はないのですが、一つ言えるのは、アメリカ的価値観が絶対的な標準というわけではないという事実です。
日本では、傾向としてアメリカ的リベラルの価値観を「アップデート」と称し若干無条件気味に取り入れている節があります。
一方ヨーロッパはというと、必ずしもそうなっているわけではありません。
最も世間に知られた例で言えば、フランスの「ルモンド紙」が掲載した「#MeToo」運動に対して異議を唱える公開書簡です。
この公開書簡には、あの名優カトリーヌ・ドヌーブを筆頭に約100名の女性が署名したことで話題になりました。
ロマン・ポランスキー監督の件も少し触れられています。
この公開書簡では、
- 「#MeToo」や「Time’sUp」などの運動こそが女性を「男性支配における永遠の犠牲者」に落とし込んでいる
- 強姦は犯罪であるが、だからと言って男性を過剰に敵視して、男性の「口説く権利」や女性の「口説かれる権利」を蔑ろにするのはいかがなものか
- こうした運動はまさに人間に厳格さや潔癖を求めるアメリカ的ピューリタニズムの過剰な姿を現している
などの意見が表明されています。
アメリカ的価値観とこのフランス的価値観のどちらが正しいというわけではなく、このように我々が「アップデート」という善きものとしてすぐに受け取りがちな価値観も、一方でこれだけ説得力のある反対意見が、当事者である女性から出ているのだという事実は押さえておかなければなりません。
結局月並みな結論で恐縮ですが、まずは一人一人が自分で考え、自分が正しいと思う行動を取るべきだということでしょう。
アメリカ的価値観やフランス的価値観、もしくはそれ以外だろうと、とにかく思考停止して脊髄反射的に受け入れたり反発したりしてしまうのはやめましょう。
おわりに
この映画は世界史の基礎的な知識をある程度持っていないと少々理解しにくいかもしれませんが、本記事でおさらいした流れだけでも頭に入れておいていただければ、少なくとも置いて行かれることはないと思います。
19世紀が舞台の映画ですが、悲しいくらい現代に通じているので、「たまには勉強」という気分でちょっと気合を入れて多くの人に見てもらえればと思います。
ところで軍隊が使ってたあの剣、あんな簡単に膝で折れるんすね…
おわり
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