作品情報
制作年 | 2021年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | コリン・トレボロウ |
出演 | クリス・プラット ブライス・ダラス・ハワード |
上映時間 | 146分 |
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あらすじ
〈ジュラシック・ワールド〉のあった島、イスラ・ヌブラルが火山の大噴火で壊滅、救出された恐竜たちは、世界中へと放たれてしまった。
引用元:公式サイト
あれから4年、人類はいまだ恐竜との安全な共生の道を見出せずにいる。恐竜の保護活動を続けるオーウェン(クリス・プラット)とクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、人里離れた山小屋で暮らしていた。そこで二人が守っているのは、14歳になったメイジー(イザベラ・サーモン)、ジュラシック・パーク創設に協力したロックウッドの亡き娘から作られたクローンの少女だ。
ある日、オーウェンは子供を連れたブルーと再会する。ところが、何者かによって、ブルーの子供が誘拐される。オーウェンはブルーに「俺が取り戻してやる」と約束し、クレアと共に救出へ向かう。
一方、サトラー博士(ローラ・ダーン)は、世界各地から恐竜を集めて研究をしているバイオテクノロジー企業の巨人バイオシンをある目的から追っていた。そこへグラント博士(サム・ニール)も駆けつけ、マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)に協力を求める。
人類と恐竜の共存の前に立ちはだかる、バイオシンの恐るべき計画とはー?
オーウェンとクレア、そして3人の博士は大切な命とこの世界の未来を守ることが出来るのか?
地球を支配するのは人類か恐竜か、それとも共存の道を選ぶのか―
コリン・トレヴォロウ監督による『ジュラシック・ワールド』シリーズ三作目、『ジュラシック・パーク』(1993)から数えると6作目になります。
前作『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(2018)で衝撃のエンディングを迎えた本シリーズ。
その後を描く続編である本作にはかねてから期待を寄せていた方も多いのではないでしょうか。
既に各所から上がっている評価からも分かるように、残念ながらそのような期待は見事に外されてしまいました。
私も例にもれず同様の感想なので、今回はこの『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』の困ったところを書き記しておきたいと思います。
「ジュラシック」シリーズ6作目
スティーブン・スピルバーグ監督によって生み出された1993年の映画『ジュラシック・パーク』が歴史的な大傑作であることに異論のある方はいないでしょう。
世代によっては『ジュラシック・パーク』を観て恐竜を好きになった、あるいは映画というもの自体を好きになったという方も少なくないでしょう。
これだけのキラーコンテンツが誕生してしまえば、シリーズとして続編が作られないわけがありません。
その後『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997)、『ジュラシック・パークⅢ』(2001)とシリーズは続いていきました。
この2,3作目については、ヒットして今でも根強い人気はあるものの結局どちらも一作目の焼き直しであり、「また同じことやってるなあ」という印象を拭うことができず、評価的にはあまり成功とは言えない状況で『ジュラシック・パーク』シリーズは終わりを迎えました。
しかし、近年の「過去の大ヒット作の続編、リブートなら企画も通るしヒットもする!」ブームによって本シリーズは復活を遂げます。
それがもちろん『ジュラシック・ワールド』(2015)です。
この一作目に関しては、新シリーズの開始としては非常に良い出来の作品だったと思います。
最新の映像技術によって再現された恐竜たち。「ブルー」という新たに主要キャラと呼べるほどの魅力を持った恐竜の登場。過去シリーズのキャラクターに頼らない、サム・ニールとローラ・ダーンに代わるクリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードコンビの誕生。
そして何より、『ジュラシック・パーク』以来であった「パークが開園する」という2,3作目に無かったワクワク感が復活しており、「また同じことやってるなあ」だけでは終わらない、良い続編であったと思います。
『ジュラシック・ワールド』シリーズ2作目の『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(2018)では、物語の設定は『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』をなぞりながら、相変わらず「また同じことやってるなあ」ではありましたが、衝撃的なエンディングが用意されていたため、鑑賞後はあまりマンネリ化の印象は残りにくい作品になっていたのではないでしょうか。
このエンディングでついに旧シリーズからのキャラクターであるイアン・マルコムが満を持して登場し、「Welcome to Jurassic World.」というセリフで締め括ります。
「ジュラシック・ワールドってそういうことか!」と良い感じに伏線回収された気分になれ、次回作への期待は大きく高まりました。
私だけでなく、多くの方は次回作へこのような期待を抱いていたのではないでしょうか。
「本作でついにパークという括りが無くなったということは、次回作はついに”いつものやつ”ではなくなるかもしれない!」と。
しかし!
結局「いつものやつ」になってしまった本作
本作はマルタ島を舞台に恐竜が入り込んだ人間社会のごたごたを描く前半と、バイオシン社の研究施設が大変なことになる後半に大きく分かれます。
これは言ってみれば、前作で広げすぎてしまった風呂敷をなんとなく有耶無耶にしたかった前半と、「いつものやつ」をやる後半ということだと思います。
端的に言ってしまえば、前半と後半どちらも残念なものとなっていました。
前作エンディングによって文字通り「ジュラシック・ワールド」となってしまった世界を舞台に、シリーズ初、パークや島といった見慣れた景色とは異なる、市街地など文明の中に恐竜が跋扈しているという異様な光景のもと恐竜アクションが繰り広げられる…
という期待をしていたのは私だけだったのでしょうか。
いやそんなことはないはず。
映画冒頭こそ恐竜によって混乱が生じている社会の様子が描かれていました。
しかしその後この世界における恐竜たちの状況や、地球を舞台にした人間と恐竜との生存競争などのようなことが描かれることはありません。
辛うじて描かれたのは、映画前半のマルタ島シークエンスにて、取って付けた感しかない「恐竜ブラックマーケット」や、ルック『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』と被ってしまった市街地での恐竜とのチェイスシーンです。
前作のエンディングであれだけ威勢よく広げた風呂敷に対して、この程度の展開では全く風呂敷を畳めておらず、市街地での恐竜チェイスシーン自体はそれほど悪くなかったものの、肩透かし感の大きさがその印象を大きく上回ってしまいます。
人間社会へ現れる恐竜たちのエピソードはそれだけしか描かれないのに、「改造イナゴ」という恐竜が全く関係ない新エピソードまで加わってしまうので、この前半はもう大変です。
しかし、映画後半でさらに頭を抱えることとなります。
結局「いつものやつ」をやってしまうのです。
ジュラシック・パーク、ジュラシック・ワールドが閉鎖され、代わりに登場したのはバイオシン社が作った謎の恐竜ランドでした。
しかし、島一つ恐竜ランドにしているわりに、映画内で取り上げられるのは「改造イナゴ」の研究ばかりで、あの施設が何を行う施設なのか全く入ってきません。
このような形で強引に新しいパークを登場させ、人間たちが命からがらそのパークから脱出するという「いつものやつ」に終始してしまいます。
この「ジュラシック~」シリーズにおいて、「いつものやつ」をやるのは毎度のことなので、「いつものやつ」をやること自体は別に構わないのですが、それであれば前作であれほどの大風呂敷を広げるべきではなかったのではないでしょうか。
あのようなハードルの上げ方さえしなければ、これほどの酷評の嵐にはならなかったかと思います。
そしてエンディングです。
これは明らかに酷いと言わざるを得ません。
なぜなら、映画の冒頭から何も事態は解決していないからです。
流される動物と恐竜との映像も、冒頭に流れたものと大差ないにもかかわらず、「これまでの生態系や社会を恐竜が脅かしている」という話から「これから人類や動物と恐竜とは共存できるはず」というような話へ勝手に180度話が変わっています。
今回の映画で解決したのは「改造イナゴ」の件だけです。
なんなら「改造イナゴ」の件だってあれはまさに『ミミック』(1997)のオープニングのような解決方であり、とても解決するとは思えない顛末でした。
その時点でツッコミしかできないのに、何も解決していない恐竜の件を勝手に解決したことにされては困ります。
これは評論家だろうが映画をあまり観ない人だろうが、総じて頭を抱えるエンディングだったのではないでしょうか。
どうしてもやめられない「同窓会」と多すぎる人間たち
本作もブロックバスター超大作シリーズが近年の辿っている大きな流れから漏れることなく、「同窓会映画」をやってしまっています。
最近では『トップガン マーヴェリック』(2022)や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)など、上手いことやっている作品も増えてきましたが、本作は『ゴーストバスターズ/アフターライフ』(2021)などの、良くない形での同窓会映画になってしまったと思います。
まず「パーク」組キャラたちの登場が強引です。
改造イナゴのエピソードを作ったことでローラ・ダーン演じるエリー・サトラー博士がバイオシン社へ乗り込むのはまだわかるとしても、サム・ニール演じるアラン・グラント博士が巻き込まれるのはやはりよく分かりません。
彼がこの映画でになった役割と言えば、バイオシン社へ忍び込んでイナゴを手づかみするくらいです。
これでは年老いたアラン・グラント博士よりもオーウェン等がやれば良いだけの話で、わざわざ彼が出てこないといけない理由が分からず、結局同窓会を開きたいだけにしか見えなくなっています。
また、イアン・マルコム博士の登場についてもツッコミどころしかない状況です。
なにより彼があの施設に雇われている理由が理解できません。
彼は「パーク」一作目の時点で一貫して「恐竜との共存なんてできやしない」と言い続け、毎回彼の言う通りになるわけですが、そんな彼をバイオシン社が雇っている意味がよく分かりません。
結局これも同窓会が開きたいがために登場させているにすぎません。
また、この「パーク」組が増えたことによって登場人物が増えすぎています。
そもそも「ワールド」組であるオーウェンとクレアは、「パーク」組の主人公だったエリーとアランに代わるキャラクターとして登場したキャラのため、キャラとしては被っています。
オーウェンとアラン、クレアとエリーという、役回りの変わらないキャラが倍に増えている時点でもうごちゃついてきています。
そして「パーク」組からはイアン・マルコム、「ワールド」君からはメイジーも加わり、既に大所帯です。
しかし本作はそれに加え、突然現れて「100%ただの良い人」でしかなかったパイロットのケイラ、「お前みたいなポジションが味方になっちゃったらもう何でもアリだろ」でおなじみラムジーという新キャラも合流し、最終的には「基本全部お前のせいだろ」でおなじみヘンリー・ウー博士も加わり、とんでもない人数で島から脱出します。
そんな人数になってしまっても、用意されていたヘリコプターは特別仕様なのか全員問題なく乗れて仲良く脱出できていましたが、どう見ても人数は多すぎます。キャラクターの大渋滞です。
これだけ増えてしまった人々を一塊で置いておくわけにはいかないため、3チームほどに分けてお使いをさせます。
3人1チームで済む話をわざわざ9人3チームに分けて展開させているため無駄にややこしくなっています。
同窓会を開きたいがあまり人が増えすぎてしまい、しかも役どころ的に恐竜に食わせることで人数を減らすわけにもいかないため、終始もたついた話になっているのがこの映画の後半戦でした。
新たなる支配者とは?
「ワールド」シリーズのメインストーリーに一切タッチしていなかった「パーク」組を合流させるために「改造イナゴ」の話を作ったわけですが、イナゴの話が組み込まれている分、本来もっと恐竜に避けたであろう時間が減り、「ジュラシック・ワールド」なんだか「イナゴ・ワールド」なんだかわからない状況に陥っていました。
てっきり新たなる支配者とは恐竜、あるいは人間かと思いきやまさかのイナゴが踊り出てくるとは誰も予想していなかったのではないでしょうか。
このイナゴの件に関しても問題が山積みです。
バイオシン社はこの計画を地下深くで秘密裏に行っていたようですが、バイオシン社製の種以外を食い尽くすイナゴなどバイオシン社が作っている他ありえないので、いくら秘密裏に研究しようが意味がありません。
先述したように、あの解決策についてもまさに『ミミック』のオープニングのような話なので、あれでは解決するどころか悪化する未来しか見えないという印象を受けてしまうのは否めません。
イナゴの件は困ったことばかりとなってしまいましたが、そんなイナゴにそこそこの時間を割きながらもそれなりに多くの恐竜を登場させ、テリジノサウルスやピロラプトルといった面白い恐竜も登場していた辺りなんかは良かったと思います。
恐竜に関して今回は特にCGだけに頼らずアニマトロにクスにも思い切り力を入れている様子もこれまで以上に感じられたのでそこもGoodでしょう。
シリーズ完結作?
一応本作で『ジュラシック・ワールド』トリロジーは完結ということのようですが、コリン・トレボロウ監督は続編の可能性を否定しておらず、現に本作では全く完結していないどころか二作目から何も状況が動いていません。
なので『ジュラシック・ワールド』シリーズとしては終了であっても、「ジュラシック」シリーズはまだまだこれからも続いていくと思われます。
前作のエンディングを見て感じた「次はきっと地球の支配権をかけて人類と恐竜による生存競争が描かれるのだろう」という期待は、できる限りハードルを下げつつも淡い期待として胸に留めておこうと思います。
おわりに
散々述べてきたように、前作のエンディングを踏まえて今作のタイトルが『Jurassic World: Dminion』、邦題に至っては『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』とくれば、これまでのシリーズで散々やってきた「いつものやつ」からついに新しい物語、しかも人類VS恐竜というアポカリプスものになるものだとすっかり期待していた人間は私だけではないはず。
結局「いつものやつ」をやるんだったら、畳めない風呂敷は広げないでいただきたいものですね。
あと、ここまで言いそびれてしまったので最後に言っておきますが、本作は散々元祖の『ジュラシック・パーク』へのオマージュや目配せが多い割に、ジョン・ウィリアムズが手掛けたあの超有名な楽曲の数々が全然使われていないあたりもこの映画は何がしたかったのかよく分かりませんでしたね。(一部若干流れたけどその中途半端さが逆に気持ち悪い)
次回はぜひ人類VS恐竜の映画でお願いします。
おわり
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