作品情報
制作年 | 2022年 |
制作国 | オーストラリア アメリカ |
監督 | バズ・ラーマン |
出演 | オースティン・バトラー トム・ハンクス オリヴィア・デヨング |
上映時間 | 159分 |
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あらすじ
謎の死を遂げた若きスーパースター《伝説》を誰が殺したのか?
引用元:公式サイト
禁断の音楽”ロック”が生まれたライブの日から世界は一変する。
エルヴィス・プレスリーのセンセーショナルすぎるパフォーマンスは若者に熱狂的に愛される一方で、中傷の的になり警察の監視下に置かれる。
型破りに逆境を打ち破る伝説と、その裏側の危険な実話。
そして彼を殺したのは誰なのか?
『ムーラン・ルージュ』(2001)『華麗なるギャツビー』(2013)でおなじみバズ・ラーマン監督の最新作です。
今年のカンヌ映画祭で初演され、上映後には約12分間のスタンディングオベーションが続いたということで既に評価されており、非常に期待されている一作でしょう。
『ボヘミアン・ラプソディー』(2018)の世界的大ヒット以降、ミュージシャンの伝記映画が明らかに増えている気がしますが、今回は満を持して「ロックン・ロールの元祖」の一人であるエルヴィス・プレスリーの伝記映画です。
この度、6月9日に行われた『エルヴィス』ジャパンプレミアの一般応募に当選して一足先に拝見できましたので、映画に関するネタバレはなるべく避けた形で本作の紹介と感想を述べていきたいと思います。
参考文献
エルヴィス・プレスリーを題材にした映画は既に数多く存在しています。
その中でも、配信サービスですぐに見られ、『エルヴィス』を見るうえでの参考文献になる作品がありますのでそれを紹介しておきます。
それが、『THIS IS ELVIS』(1981)というドキュメンタリー映画です。
そして現在この作品は、U-NEXTで見放題配信中ですので会員の方は今すぐ見られます。
U-NEXT上では『ジス・イズ・エルビス』という表記になっているかと思います。
この作品は、デビュー前の幼少期などは俳優を使った再現ドラマを使用していますが、そこ以外は基本的にナレーションと共に本人の映像を用いて彼の生涯を追ったドキュメンタリーになっています。
なのでこの作品を見ると、エルヴィス・プレスリーは、世界トップのスーパースターの一人というイメージの割には、かなり物腰低めでお辞儀も深めな好青年だったという、彼の人柄が窺えます。
先にこの作品を踏まえて、『エルヴィス』との相違点、バズ・ラーマン監督らが行ったアレンジなどを見ていくのも一つの楽しみ方かと思います。
まさにバズ・ラーマン作品(知ってた)
バズ・ラーマン作品と言えば、『華麗なるギャツビー』を筆頭に、とにかくギラギラでビカビカ、忙しいカメラワークというような、いろんな意味で「やかましい映像」のイメージがあるかと思います(褒めてる)。
予告や宣伝から既に想像されているかと思いますが、その想像通りです。
衣装、セット、音楽、カメラワーク、編集など全ての主張が強く、一言で言えば「映像のカロリーが高い」というイメージです。
もう一つバズ・ラーマン作品の特徴として、あえての「作り物っぽい画作り」というものがあるかと思います。
『華麗なるギャツビー』でもそうでしたが、エルヴィス・プレスリーという我々とは別の世界に住んでいるような人物を描く物語にあたっては、その「作り物っぽさ」が有効に機能していたと思います。
こうしたバズ・ラーマン作品らしい特徴に加えて、本作はなんと上演時間が159分もあります。
本作は主張の強い編集があるためテンポは良いのですが、なんせ映像のカロリーが高いので、長さははっきり言って感じます(笑)。
ただ、これは別に中弛みがあったというわけではなく、楽しく見られるのですが、さすがに2時間を超えだすとこのハイカロリー映像に若干胃もたれが生じ始め、「なんかこの映画ずっとやってない?」みたいな感覚になります。
しかし、そんな映像体験こそバズ・ラーマン作品ならではであることは間違いありませんし、多少上映時間が伸びても彼の半生ではなく一生を描くのだというアプローチを良しとしてあげたいところです。
主役二人の魅力
監督はもちろん話題になりましたが、もう一点注目されているのは主役に関してです。
エルヴィス・プレスリーを演じるのはまだまだ若い30歳のオースティン・バトラーです。
アンセル・エルゴート、マイルズ・テラー、アーロン・テイラー・ジョンソン、ハリー・スタイルズという名だたる候補が参加したオーディションを勝ち抜き、エルヴィス役に抜擢されました。
大作映画の主演はおそらく初のはずですが、初の大作映画主演かつ実在の人物を演じるという、明らかに重圧が半端じゃないであろう役どころを彼は見事エルヴィス・プレスリーを演じきっています。
オースティン・バトラーは『ロケットマン』(2019)でのタロン・エガートン同様、彼自身がエルヴィス・プレスリーの数々の楽曲を実際に歌っています。
この歌唱シーンの再現度の高さは間違いなくみどころですが、それと同じくらいの見どころは、オースティン・バトラーによるエルヴィス・プレスリーの「加齢」表現です。
彼はエルヴィス・プレスリーのデビュー時から晩年までを演じているのですが、時代ごとの演じ分けが見事です。
デビュー時から全盛期にかけての「大きな夢を追いかける青年」な若々しい雰囲気から、スーパースターになって以降の「貫禄」や「迫力」といったものを、衣装やメイクなどの助けももちろんありますが、しっかり彼の演技で表現することに成功しています。
エルヴィス・プレスリーの年齢によって声色や声質というのも使い分けられていますので、その辺りも注目してみてください。
そしてもう一人の主役がトム・ハンクス演じるトム・パーカー”大佐”です。
本作で彼はファットスーツを着て大佐を演じているので、『ハウス・オブ・グッチ』(2021)でのジャレット・レトのように「太ったおじさん俳優の雇用を奪っているのでは」問題がまたしても生じてしまっている気がしますが…
トム・ハンクスがキャスティングされた詳しい経緯は分かりませんが、まあおそらくトム・ハンクスが主演した『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)で、「フォレストはエルヴィス・プレスリーと会っており、エルヴィスの脚の動きはフォレストの脚が元ネタだった!」というジョーク的なエピソードとの少々メタ的な繋がりは意識されているのだと思います。
ただそれよりも今回のトム・ハンクスについての見どころは、悪役を演じている(おそらく初?)ということでしょう。
トム・ハンクスが悪人というと『ロード・トゥ・パーディション』(2002)でマフィアを演じたことが思い出されますが、あのキャラクターもマフィアであるというだけで悪役という意味での悪ではありませんでした。
加えて本作のトム・パーカー大佐も、悪役といってもダース・ベイダーのような悪ではないので、「トム・ハンクス史上一番悪人」というイメージですが、新鮮なトム・ハンクスが見られるという点では、本作の大きな見どころの一つにはなっています。
音楽的なルーツに関して
それではここから、これから本作を見ようと考えている方向けに、本作に対して少し心配されているであろう点について、実際に見てみてどうだったのかを述べていきます。
まずは彼の音楽的なルーツに関してです。
国内の宣伝ではエルヴィス・プレスリーを「ロックを生んだ男」と言い切っていますが、実際にはこの「ロックの起源」に関しては諸説あり、特にエルヴィス・プレスリーという「白人」を元祖とするか、彼の登場以前から「黒人」の間で既に生まれていたとするか、そもそもどこをもって「ロックの起源」とするかなどで論争になりがちです。
例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)では、主人公のマーティーが過去に戻った先で、その時代には存在しなかった、チャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』を演奏し、それを聴いたチャック・ベリーが触発され、ロックという音楽を誕生させたというエピソードがあります。
このエピソードは、黒人音楽がルーツであったはずのロックを白人であるマーティーが黒人であるチャック・ベリーにロックを教えた、という形に書き換えられており、これは「文化盗用」であるとしてアメリカなどでは批判を受けているシーンです。
このように、『バック・トゥ~』を撮ったロバート・ゼメキスは冗談のつもりだったのかもしれませんが、当事者である黒人はそう受け取らなかったというほど、人種が絡んでいることで「ロックの起源」については慎重に描かなければならず、エルヴィス・プレスリーを題材にする本作がその辺りをどう捉えているのか心配されている方がいるかもしれません。
結論から言うと、その辺は安心していただいて結構です。
現実のエルヴィス・プレスリー本人が「ロックンロールは私が来るずっと前からこの地に存在していた」と述べているように、ロックのルーツは黒人の音楽文化であると明確に描いています。
それだけでなく、少々斬新な音楽遣い(詳しくは劇場で)もあって、本作は非常に黒人音楽へのリスペクトが伴われていると思います。
なので、まあさすがにと言いますか、この「ロックの起源」に関してはとても上手く描いていると思います。
『ボヘミアン・ラプソディ』と比べてどうか
これは最も多くの方が気にされている点かと思いますが、あの『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)と比べてどうなん?という点です。
こちらも結論から述べておくと、『ボヘミアン・ラプソディ』とは少し異なった作風の作品になっています。
これでどの程度伝わるか微妙ですが、『ボヘミアン・ラプソディ』と『ロケットマン』の間くらいを突いてきている作品かなと感じました。
なので、『ボヘミアン・ラプソディ』のクライマックスのような、あの「抗いがたいカタルシス」を楽しむような映画を想定して鑑賞してしまうと、少し物足りない印象になってしまうかもしれません。
本作は、エルヴィス・プレスリーがスーパースターとして成り上がっていくストーリーよりも、スターとして頂点に立った男の「もがき」や「苦しみ」の方により焦点を当てています。
また、彼の音楽的なルーツもあって、当時のアメリカ情勢も彼のキャリアに大きく絡んできます。
そのため、『ボヘミアン・ラプソディ』ほどのブチ上がるクライマックスがある映画というよりも、十分に「音楽エンターテインメント」をやりつつも、エルヴィス・プレスリーという人間の内面に大きく寄り添った方向の作品になっています。
また、『ボヘミアン・ラプソディ』ほどのカタルシスは生じない要因の一つに、彼は「ソロ歌手」であることもあると思います。
「音楽エンターテインメント」にはつきものの「曲が出来上がっていく高揚感」に関して、本作もそれが得られるシークエンスはあるのですが、やはりソロ歌手であるためか、バンドという形態であったQUEENの方が、そこのワクワク感はどうしても勝ってしまうかなという面は否めません。
要するに、本作は『ボヘミアン・ラプソディ』とは違うアプローチの映画である、という構えで鑑賞してもらえば、「思ってたのと違う!」みたいなことにならず、より楽しめるのではないかと思います。
エルヴィス・プレスリーをよく知らなくても
最後にもう一点、「エルヴィス・プレスリーはちょっと昔の人過ぎて全く知らないんだけど…」という方に関してです。
エルヴィス・プレスリーのことをよく知らなくても、彼のカッコよさはオースティン・バトラーがこれ以上ないほど体現してくれているため、今見てもしっかりカッコいいし、オースティン・バトラーの出している「色気」は半端じゃないので、間違いなく楽しめると思います。
また、エルヴィス・プレスリーをよく知らなくても、聴いたことのある曲はいくつかあると思うので、エルヴィス・プレスリーを知らないと付いていけないというようなことは一切ありませんのでご安心ください。
ついでに言えば、エルヴィス・プレスリーが「その脚の動きがけしからん」などと言われ、国や保守派からバッシングを受ける様は、最近日本で起きている「AV禁止法」などの動きを彷彿とさせており、この辺りも非常に興味深く見ることができるのではないでしょうか。
大佐によって語られるストーリー
最後に、これは予告編の作りからある程度想像されることなので述べますが、本作のストーリーテリングにも特徴があります。
それは、トム・ハンクス演じるトム・パーカー大佐の目線からエルヴィス・プレスリーのストーリーが語られるという点です。
我々観客は、エルヴィス・プレスリーの人生が描かれたこの映画を見て、楽しんだり感動して帰るわけですが、一方「彼のこの様々な葛藤や苦しみを抱えた人生を、エンタメとして消費してしまって良いのかな…?」という思いもよぎります。
しかし、大佐に言わせれば、「でもね、それこそ…(詳しくは劇場にて)」ということであり、我々が見たこのエルヴィス・プレスリーの人生は、まさにそう主張する彼によって語られた物語なのです。
このように、大佐の目線から語られるという演出が映画鑑賞後に活きてくるというこの構造は、非常に面白く、上手いあたりではないでしょうか。
おわりに
『ボヘミアン・ラプソディー』以降、明らかにミュージシャンの伝記映画が増えている気がしますが、ちゃんとどれも面白いのは素晴らしいですね。
やはりこういったスターはリアルに映画みたいな人生を歩んでますね…
エルヴィス・プレスリーをよく知っている方もよく知らない方も、どちらも楽しめる作品になっていますし、バズ・ラーマン作品は劇場で見ないと絶対にもったいないので、Dolby Cinemaなど音響の良い劇場での鑑賞がオススメです!
おわり
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