作品情報
制作年 | 2022年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | マイケル・ベイ |
出演 | ジェイク・ギレンホール ヤーヤ・アブドゥル=マティーン 2世 エイザ・ゴンザレス |
上映時間 | 136分 |
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あらすじ
アフガニスタンからの帰還兵ウィルは、出産直後の妻が病に侵され、その治療には莫大な費用がかかるが保険金も降りず、役所に問い合わせてもたらい回しにされるだけだった。
引用元:映画.com
なんとかして妻の治療費を工面しようと、血のつながらない兄のダニーに助けを求めるウィル。
犯罪に手を染めるダニーが提案したのは、3200万円ドル(約36億円)もの大金を強奪する銀行強盗だった。
計画通りならば、誰も傷つけることなく大金だけを手にするはずだったが、狂いが生じて2人は警察に追われる事態に。
やむを得ず逃走用に救急車に乗り込んだ2人だったが、その救急車はウィルに撃たれて瀕死となった警官を乗せていた。
乗り合わせた救命士キャムも巻き込み、ダニーとウィルはロサンゼルス中を猛スピードで爆走することになる。
マイケル・ベイ監督最新作です。
彼の前作『6アンダーグランド』(2019)では、NETFLIXオリジナル作品だったということで「マイケル・ベイが配信サービスの映画を撮った」と同時に「もうNETFLIXはマイケル・ベイ作品も作れるほど資本力がある」という二つの軽い衝撃を映画界に走らせました。
そして今回、そんな彼が劇場用長編映画に帰ってきました。
本作『アンビュランス』は、2005年のデンマーク映画『AMBULANCEN(邦題:25ミニッツ)』のリメイクです。
ただしマイケル・ベイ監督曰く、リメイク元の脚本などは一切読んでいないとのことなので、原作としてリメイクというよりは原案というイメージかと思います。
デンマーク映画のリメイクということで、題材や設定的にはあまり「マイケル・ベイらしさ」を感じにくい印象ですが、実際に本作を見てみると、ちゃんと「ベイ」でした。
マイケル・ベイ映画なので、正直それほど長々と語ることはない(※良い意味で)のですが、その「ベイらしさ」のあたりを語っていければと思います。
「ハリウッド超大作」の今後
今述べた通り、本作について正直それほど長々と語ることはない(良い意味で)ので、いきなりですが本作の内容とは直接関係のない、この映画を見ながら私が思っていたことを少し記しておきたいと思います。
本作は公開が2022年3月25日でした。
この時期といえば「第94回アカデミー賞」の発表直前であり、映画ファン的には受賞作品の予想なんかしつつ、ノミネート作品を中心にこの一年間の映画を振り返るようなタイミングです。
もちろんファンだけでなく、評論家やライターなど「プロ」の方々も仕事として受賞予想をしているわけですが、その中で映画評論家の町山智浩さんが、予想をするにあたってノミネート作品に対してある指摘をされていました。
それは、「アカデミー作品賞ノミネートのうち、採算のとれているアメリカ映画が一つもない」ということです。
一般的に映画の興行においては、「製作費の三倍の額を興行収入で回収しなければ赤字」と言われています。
今回、アカデミー作品賞にノミネートされている作品の中でその基準をクリアできているのは、日本映画の『ドライブ・マイ・カー』のみなのです。
(と言ってもこの映画がクリアできたのは製作費が「超」低予算だったから)
アカデミー作品賞にノミネートされるほど内容を評価されている作品でも、ビジネスとして利益を挙げられていないという状況に陥っているのです。
昨年、スマッシュヒットと呼べる作品というと『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)くらいのもので、スティーブン・スピルバーグ(ウエスト・サイド・ストーリー)やリドリー・スコット(最後の決闘裁判)など巨匠が作る映画でも、興行収入が製作費の金額すら越えられない状況です。
あの『エターナルズ』『シャン・チー/テン・リングスの伝説』といったMCU作品をもってしても、コロ禍以前のようなヒットの仕方はできていません。
今や世界中で「映画を映画館で鑑賞する」という文化が消失の一途を辿っています。
このままこの流れが進んでいけば「映画を作っても儲からない」という認識が一般化し、いわゆる「ハリウッド超大作」の製作に出資する企業や資本家は減っていくことになります。
お金を集めることができなければ大作を作ることができません。
大作を作ることができなければ、より一層「映画館での鑑賞」という文化は消えていきます。
現在、世界の映画産業はこのような負のスパイラルの中にいます。
この状況が進行すれば、そのうち「超大作」だけでなく「大作」を作れるのもディズニーやNETFLIXといったごく少数の巨大資本のみになってしまうかもしれません。(正直既にそうなってきていますが)
そんなコロナ禍の映画業界で、今劇場公開しても大ヒットは厳しいとわかっていながら、映画館に人々を呼び戻すためにも劇場公開に踏み切った作品として印象深いのはM・ナイト・シャマラン監督の『オールド』やクリストファー・ノーラン監督の『TENET テネット』ではないでしょうか。
特に『オールド』では、映画の冒頭にシャマラン監督本人による観客たちへの挨拶映像が付いていました。
シャマラン監督が我々に向かって「やっぱり映画は大きなスクリーンで見ないと」「映画館へおかえり」「楽しんでね」などと優しい言葉で挨拶をしてくれました。
ミステリーの仕掛け的な考察が大好きな人たちは、「このメッセージもあのオチに対する伏線になっている!」というような受け取り方をしていたようですが、シャマラン監督は『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006)を見れば分かる通り、「フィクションや物語の力が世界を変え得る」と信じている人です。
そんな彼が映画鑑賞の文化を守るためにコロナ禍だろうと劇場公開し、観客にこのような挨拶をしてくれたと思うと、素直に泣けてくるではありませんか。
そして本作『アンビュランス』です。
本作を監督したマイケル・ベイも、M・ナイト・シャマランやクリストファー・ノーランと同じように、ディズニーやNETFLIXという巨大資本の下に入らずとも、本人のブランド力で資金や観客を集めれられる人です。(『トランスフォーマー』シリーズではがっつり中国資本のお世話になっていますが)
このように、映画産業全体が危機的状況に陥っている中でもまだ、いわゆる「ディズニー映画」ではないような大作映画を作ることのできる人たちが映画を作り続けてくれることは本当に喜ばしいことで、このような映画が公開されるとなれば、映画ファンとしてはぜひとも劇場に駆け付けたいと思うわけです。
そんなことを今回のマイケル・ベイ最新作を見ながら考えていました。
やっぱり映画は大きなスクリーンで見ないとね。
本作は低予算映画(当社比)
マイケル・ベイ映画といえばもちろん『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』ですが、マイケル・ベイ映画全体のイメージとしては、製作費は基本的に1億ドル越えベースの「超大作爆発大好きおじさん」かと思います。
しかし本作『アンビュランス』の製作費はというと、およそ4,000万ドルと言われています。
これは『トランスフォーマー/最後の騎士王』(2017)の約5分の1程度、彼の初期作でみんな大好き『ザ・ロック』(1996)よりも安く、『バッドボーイズ』(1995)と『ペイン&ゲイン』に次いで低予算映画になっています。
では本作がマイケル・ベイ映画らしくなくなってしまったのかというと、全くそんなことはありません。
ちゃんと「ベイ」でした。
つい先日、マイケル・ベイはUNILADのインタビューで「あんなに長々とトランスフォーマーシリーズを撮り続けるべきではなかった」と発言していました。
「大きな作品をずっとやってきたから、もっと小さい作品もやりたかった」というようなことも言っているので、むしろ本作や『ペイン&ゲイン』のような規模の映画が、今のマイケル・ベイが一番撮りたかった映画だったのかもしれません。
「マイケル・ベイ節」炸裂
とりあえず「これで十分かな」と思った二倍をやっておく
マイケル・ベイ映画の特徴としてまず挙げられるのは、とにかく何でも「過剰」であるということでしょう。
どれくらい過剰かというと、基本的に何でもこちら側が「まあこんなもんかな」と思うその二倍の量は少なくとも出してくるイメージです。
壊れていく車の量は、久々に「TAXi」シリーズを思い出すような量のパトカーが大破していくし、そもそも映画自体の時間もストーリーに対して明らかに長いです(褒めてる)。
主人公たちを追う警察のヘリコプターもきっちり二機飛んでいました。必要量の二倍です。
完全に必要量の二倍だったのは、「車爆弾」のシーンでしょう。
あのシークエンスが本作の最も派手な爆発シーンで、一番の見せ場だったといっても過言ではないシーンでした。
あの場面で、パピの息子ロベルトが集まった警察に向かって爆弾を積んだ囮の救急車を走らせ爆破します。
警察への騙し討ちとしてはもうそれで十分なのに、ロベルト一味はさらにもう一台、機関銃を積んだ車を送り込み、警察官たちに向けて掃射します。
二台目の車による攻撃ははっきり言って過剰です(褒めてる)。
このように、「銀行強盗犯の救急車を使った逃走劇」という設定だろうが容赦なくマイケル・ベイ的過剰演出をねじ込んできます。
思う存分ゴア表現
さらにマイケル・ベイ作品の大きな特徴として、「割とキツめのゴア表現」があるかと思います。
特に『トランスフォーマー』シリーズでは、戦っているのが「機械」であることをいいことに、よく考えるとなかなか惨い殺し方を行っています。(手足をもぎ取ったり背骨を引き抜いたり)
本作はアメリカではR指定となっています。
そのため、マイケル・ベイが『トランスフォーマー』シリーズではできなかった、本当は人間でやりたかったであろう「残酷描写」がしっかり取り入れられていました。
詳しい内容はぜひ本編でご覧ください。
どうかしている(褒めてる)カメラワーク
本作に関して、今回最も大きな特徴は「撮影」です。
本作はそのアクションシーンの多くで「FPVドローン」と呼ばれる、操作者がVRヘッドセットを装着して操作するドローンを使用した撮影が行われています。
本作もジャンルとしてはこれに当てはまるかと思いますが、「ジェットコースタームービー」という表現があります。
この映画では、文字通りジェットコースターに乗っている時のような、ドローンによる激しい、というかどうかしているカメラワークが連発されます。
このカメラワークも「必要量の二倍」くらい繰り出されています。
「このショットでその動きいる?!」と思わずツッコみたくなるショットがたくさんあります。
最高です。
ちなみにFPVドローンを使用した撮影を大々的に行ったのは本作が初めてではありません。
ローソン・マーシャル・サーバー監督のNETFLIXオリジナル『レッド・ノーティス』(2021)でFPVドローンを存分に使用した撮影が行われています。
しかし、この『レッド・ノーティス』でのドローン撮影といえば、ドウェイン・ジョンソン演じるジョン・ハートリーがローマのサンタンジェロ城に駆け付けるシーンや、クライマックスのカーチェイスシーンなど、極めて「常識の範囲内」に収まった撮影でした。
そんなドローン撮影もマイケル・ベイの手にかかれば一発で撃沈です。
明らかにドローンを使用しなくてもいいようなショットでドローンをアクロバティックに飛ばしまくったり、ドローンによるカーチェイス撮影の限界に容赦なく挑んでいます。
このドローン撮影の狂い方は一見の価値しかないので、ぜひ『レッド・ノーティス』と見比べていただくと良いかと思います。
キャラクターの位置関係が全く分からない銃撃戦
映画序盤、主人公ウィルとダニーたち一味が銀行強盗にしくじり、銀行周辺で警察と銃撃戦になるシークエンスがあります。
この市街地での派手な銃撃戦という場面から、マイケル・マン監督の『ヒート』を連想する声が少々あります。
しかし、申し訳ないですがさすがに『ヒート』の銃撃戦シーンと比べるのは無理があります。
本作の銃撃戦シーンはキャラクターの位置関係が全くわかりません(笑)
どこで誰と誰が打ち合ってるのかが全く分からないまま、主人公一味が一人ずつ倒れていきます。
キャラクターの位置関係はわからないものの、本作の銃声に関しては非常に重めの音で聞いてて迫力があったのは良かったと思います。
マイケル・ベイ映画には内容がない?
これは本当に問題なのですが、映画ファンのライト層ほどマイケル・ベイをはじめシルヴェスター・スタローン、M・ナイト・シャマランといった映画作家たちを半笑いで評価する傾向が見受けられます。
ある程度映画を見ていて、映画史を知っていれば彼らがいかに一流であるかは明らかなので、彼らを舐めるのは本当にやめた方がいいです。
ということで、マイケル・ベイ作品はこうした人々から「中身がない」と言われがちです。
マイケル・ベイ映画に中身は「あります」。STAP細胞もあります。
あるではないですか。
明らかに過剰なカークラッシュ、マフィアの過剰な攻撃、過剰なゴア表現、ジェイク・ギレンホールのブチギレ具合などをはじめとする映画的な「カロリー」という中身が。
「やっぱり中身がないじゃないか」と怒らないでください。
ちょっとふざけましたが、本作はちゃんと現実的なテーマが盛り込まれていましたよ。
「善きサマリア人」的正義
メインキャラクターとなるウィル、ダニー、キャムの三名を中心に、善悪の区別が曖昧に描かれています。
ウィルは銀行強盗の実行犯の一人ですが、なぜかと言えば妻の手術に対して下りない保険や、帰還兵にたいする雇用が無いといった社会に問題があるせいでした。
ダニーは最も「悪」側ですが、彼もこうなったのは元はといえば悪人だった父親に感染してしまったためであり、映画後半では「自分だけ助かる」という損得勘定よりも「兄弟の絆」を優先して弟と共に捨て身の行動に出るという心意気をギリギリ見せてくれました。
一方キャムは「善」側のキャラクターですが、映画冒頭では瀕死の子供だろうが「業務」として作業をこなして、業務が終われば対応した患者のことはすぐに忘れるような人間で、人質になった後も一度は瀕死の警官を置いて逃げようとしました。
そんな本作の中で、ひとつ「絶対的な善」として引かれていた一線は「人命を救うこと」でした。
ウィルは逃走が失敗するリスクを厭わず警官ザックの命を救うためキャムに協力し続けます。
その結果、エンディングで彼は一命をとりとめ、自分が撃ってしまったザックも最後は彼を庇いました。
キャムも警官だろうが強盗犯だろうが関係なく瀕死の人間を助けることで最後まで生き残り、ウィルの妻へ手術費用として銀行の金を渡すのもこの映画内では良しとされます。
(そんな金使ったら絶対足が付くだろうというツッコみは抑えてください)
要するにこの映画内も現実の社会も、「法律」などというデタラメな尺度だけで善悪が区別できるはずはないということ、しかしそんな世界の内でも「目の前の人を助けること」だけは揺るぎない「正義」だろうということです。
「法律」だけで善悪が区別できると思っているような人間が増えている昨今、よく考えれば当たり前のことなのですが、こうした根本的な価値観が改めて提示されるのは良いことだと思います。
ちなみに、今「法律」というワードを出しましたが、アメリカやカナダなどには「Good Samaritan laws」(善きサマリア人の法)という法律があります。
急病人や怪我人が発生した際、その場に居合わせた人が善意による処置を行った場合、結果的にその処置が失敗だったとしても基本的には責任を問わないとするものです。
なのでもし実際にキャムのような状況に陥った人が、手術を失敗して相手を死なせてしまった場合でも、まず罪には問われないでしょう。
一方、日本にはそうした法律は整備されていません。
キャムの状況は特殊すぎるので微妙ですが、日本ではキャムのように業務外で医療行為を行った場合、それが善意によるものであってもその処置に失敗すると、キャムが訴えられ罪に問われる可能性があります。
(実際は有罪になるなどということは考えにくいですが、リスクが残されているということです。)
なのでこの映画は、もしかすると日本では作れない映画かもしれませんね。
医療従事者へのリスペクト
話を戻します。
本作の中で最も「ヒーロー」として描かれているのは、救急救命士であるキャムです。
「本当のヒーロー」というのは、コウモリやクモのコスプレをして暴れまわる小僧ではなく、「目の前の命を救うために “現場で” 日々必死に戦っている医療従事者だろう」というテーマは、既に何年も継続しているこのコロナ時代を考えれば、至極真っ当なメッセージではないでしょうか。
マンガの中にいるヒーローにうつつを抜かすのも良いですが、現実世界で戦っているヒーローたちのことを忘れてはなりません。
おわりに
先ほど軽く触れましたが、マイケル・ベイ本人はずっと『トランスフォーマー』シリーズからは離れたかったと言っていて、なんだか少し安心しました。
彼には、本作のような自分が撮りたい規模感で「マイケル・ベイ映画」という唯一無二の路線を突き進み、やりたい放題やってほしいなと思います。
爆発はもっとしてくれても良いぞ。
おわり
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