『X エックス』(2022) ネタバレ解説 感想|A24によって現代に蘇った70年代スプラッター

解説・感想
スポンサーリンク

作品情報

制作年2022年
制作国アメリカ
監督タイ・ウェスト
出演ミア・ゴス
ジェナ・オルテガ
マーティン・ヘンダーソン
ブリタニー・スノウ
上映時間105分

ポッドキャスト配信中

本記事の内容はSpotify, Amazon Music, Apple Podcast, Google Podcastにてポッドキャストも配信中です。

あらすじ

1979年、テキサス。女優のマキシーンとそのマネージャーで敏腕プロデューサーのウェイン、ブロンド女優のボビー・リンとベトナム帰還兵で俳優のジャクソン、そして自主映画監督の学生RJと、その彼女で録音担当の学生ロレインの3組のカップルは、映画撮影のために借りた田舎の農場へ向かう。彼らが撮影する映画のタイトルは「農場の娘たち」。この映画でドル箱を狙う――。6人の野心はむきだしだ。
そんな彼らを農場で待ち受けたのは、みすぼらしい老人のハワードだった。彼らを宿泊場所として提供した納屋へ案内する。一方、マキシーンは、母屋の窓ガラスからこちらを見つめるハワードの妻である老婆パールと目があってしまう……。
そう、3組のカップルが踏み入れたのは、史上最高齢の殺人夫婦が棲む家だった――

引用元:公式サイト

タイ・ウェスト監督最新作です。
というよりも「A24」の最新作というイメージの方が強いですかね。(タイ・ウェストすまん)

「あのA24が王道スプラッターホラーを作ったんか?!」ということで、公開前から注目されていた方も多かったのではないでしょうか。

予想通りというか当然というか、A24が”普通の”スプラッター映画を作るわけがなく、しっかり個性強めのホラー映画になっていましたので、その個性のあたりに詳しく触れながら本作の感想について述べていこうと思います。

現代版、70年スラッシャー・グラインドハウス映画!

X Movie Ending, Explained | POPSUGAR Entertainment
©A24

予告や宣伝の時点で、映画の舞台が1979年のアメリカ・テキサスであることが明示されていました。
これにはホラー映画ファンだけでなく、多くの映画ファンが期待に胸を膨らませたと思います。

「おいおい『悪魔のいけにえ』じゃないか!」と。
「A24が『悪魔のいけにえ』をやるのか?!」と。

そしてついに本編を鑑賞してみると、本当にそうではありませんか
しかし、単にお金をかけて『悪魔のいけにえ』リメイクのような真似には走っていません。

やはりそこはさすがA24、しっかりA24らしさ(≒現代的なテーマ性)をしっかり盛り込んでいます。
そしてこの「70年代スラッシャー」的フォーマットの中にA24らしい個性、現代的なテーマ性をしっかり落とし込んだうえで、「スプラッターホラー」というエンターテインメントに昇華できているという点が、本作最大の美点であり、映画として間違いなく「勝ち」だと思います。

A24らしい前半

映画「X エックス」公式サイト|2022年夏 ロードショー
©A24

本作は大きく前半と後半で物語のテンポやテンションが大きく異なります。
物語の前半はいわば「A24らしい」パートになっており、70年代スラッシャー的映画として見るには少々新鮮な雰囲気が漂っているかと思います。

具体的に言えば、まずは各キャラクターの人間性を丁寧に描いています。
往年のスラッシャー映画でよくあったように、登場人物たちを単なるよくあるテンプレに落とし込んで済ませるのではなく、各キャラそれぞれ自分の価値観があり、より複雑性を持った人物造形になっていたと思います。

それが顕著に見られたのは、おそらく皆さんの印象にも強く残っているであろう、撮影後の晩にみんなでお酒を飲むシーンです。

ここでは、全体的な70年代スラッシャー・グラインドハウス映画よりも大々的に、当時のカウンターカルチャー的価値観を主張し、同時にその主張がこの映画全体を貫くキリスト教、とりわけ福音派など=アメリカ国内の保守層へのカウンターへと繋がっています。

「ポルノ映画やB級映画だってアートとして成立する」というRJの発言は、70年代スラッシャー映画を見事現代映画へ昇華させて見せた『X エックス』というこの映画が大きな説得力を持って体現しています。

さらにもう一点印象的だったのは、性愛に最も距離を置いているように見えたロレインが「私も映画に出演したい」と言い出し、それを受けてボビー=リンが「そもそもみんな性愛が好き、私たちはそれを公言しているだけ」と発言したことでしょう。

正直、これはキリスト教だけでなく我々日本人ももう少し重く受け止め自覚すべき部分ではないでしょうか。
日本は、国民に広く浸透している宗教などが無いにもかかわらず、性愛に関して非常に保守的であり、まるで性愛が悪であるかのように、有名人の性的なスキャンダルに対して過剰に敏感で、教育面においても子供たちへの性教育が不十分な状況、挙句の果てには当事者の多くが反対しているにもかかわらず「AV新法」なるものが成立する社会です。

しかし表向きはそれほどまでに性愛に対して保守的な社会でも、ボビー=リンの言う通り「みんな性愛が好き」なので、日本は世界でもトップクラスでアダルト産業が発達してきた国でもあります。
発達しているアダルト産業はもちろん男性向けだけではなく、現在は女性用風俗産業なども大変発達しています。

「みんな性愛が好きなのにそれを公言できないしすべきでない」というような、そんな我々日本人はどちらかといえばこの映画が批判している対象の側にいると思いますので、今この映画を見る意義は非常に深いものがあると思います。

また作品のテーマ以外の部分で言うと、作品前半に後半の展開を暗示させる演出が用意されていたのも「A24らしさ」の一つではないかと思います。

この演出で有名なのは、アリ・アスター監督作『ミッドサマー』(2019)でしょう。
この作品では、映画冒頭で映し出させるタペストリーがその後の展開を絵で表現したものになっていました。

今回の『X エックス』では、映画前半に一部の各登場人物の死に方を暗示させる演出が行われていました。
冒頭、ボビー=リンが出てくるストリップクラブの壁には金髪の女性とワニが描かれており、これは彼女の死亡シーンを暗示しています。
ウェインはRJとの会話の中で「この映画を見た人たちは頭から目ん玉飛び出すぜ」的なことを言っており、その後熊手を目に突き刺され死亡しました。
ジャクソンは、ベトナム戦争中に銃を持った農民に何度も襲われたと述べていましたが、その後銃を持ったハワードに殺されます。

このようなA24製作ホラーの代表であるアリ・アスター作品を想起させる暗示の演出も本作の面白い部分ではないでしょうか。

往年のスラッシャー映画を思い出させる後半

x movie review
©A24

上で既に若干フライングしてしまいましたが、後半は前半とは打って変わり、まさに往年のスラッシャー映画を思い出すような派手な殺戮ショーが始まります。

ホラーというよりはもはやちょっと笑いが起きてしまうようなあえての演出、少し懐かしさも感じる分かりやすいジャンプスケアなどはまさに70~80年代のB級ホラー映画らしい楽しい部分でしょう。

また、往年の名作ホラー映画オマージュも数多く取り入れられていました。
まず物語の舞台や作品全体の雰囲気としてはもちろん『悪魔のいけにえ』(1974)であるし、RJのシャワーシーンや湖に車が捨ててあるくだりなんかはモロに『サイコ』(1960)でした。
寝ているマキシーンに忍び寄るパールの主観ショットと合わせて人間の息遣いのような劇伴がかかるシーンは、『ハロウィン』(1978)を思い出すあたりでした。
斧でドアを破るくだりははまさに『シャイニング』(1980)であり、ここはもはや笑いどころにもなっていました。

しかし、もちろんこの映画はそうした数々の名作ホラーオマージュで喜んでいるだけの作品ではありません。
もう一つのおもしろポイントとしては70年代スラッシャー映画の体裁をとっていながらステレオタイプ的な「ホラー映画あるある」に捻りを加えている点でしょう。

この捻りこそが、既に先ほど取り上げたアメリカの宗教保守的な思想へのカウンターとして機能しているのです。

70年代スラッシャー映画では、若者は大人や老人に対して無礼な態度でいることが常でしたが、『X エックス』では内心はさておき基本的にはパール夫妻に対して最低限の敬意を払って好意的に接しようとしていました。

スラッシャー映画で最後の生き残りになって実質主人公となる人物のことを一般に「ファイナルガール」と呼び、そのポジションは大抵女性であり、しかも処女である場合が基本でした。
しかし本作において、最後に生き残るマキシーンは女性ではありますがストリッパーという性産業に従事する女性でした。

ファイナルガールが処女であるのと対照的に、スラッシャー映画で真っ先に死んでいくのは、物語序盤で早速セックスに興じてしまう男女である場合がほとんどでした。
それに対し本作における最初の犠牲者は、メンバーの中で最も性愛に対して保守的だった男性のRJでした。

このRJというキャラクターに対して、彼女がポルノ映画に出演したいと言い出しショックを受けた挙句、真っ先に殺されるなんて可哀そうだと思われる方もいるかもしれません。
しかし、最初の犠牲者がRJになっているのは単なる「逆張り」ではありません
先ほど述べた性愛の話題に引きつけて言うと、ステレオタイプ的「映画あるある」に対するカウンターである本作において、本作の性愛に対する価値基準から言えば彼は真っ先に殺されて当然なのです。

本作の性愛に対するスタンスは「みんな性愛が好き、私たちはそれを公言しているだけ」なので、もちろん「エロ」がなければ始まらないB級ホラーやポルノ映画にも敬意を払っています。
ファイナルガールになる主人公マキシーンもストリッパーです。

RJという男は「ポルノ映画だってアートとして成立する」と豪語していましたが、彼女がそのアートであるポルノ映画に出演したいと言い出すとショックを受けてしまうような、性愛を理解していない所詮口だけの人間でした。

アートとして成立するポルノ映画に出演したい、性愛という享楽を得たいという彼女に対してRJがショックを受け反対するというのは、結局のところロレインを一人の人間として愛していたのではなく、彼女を所有欲の対象としていたからに過ぎません。

彼女の価値観や考えを否定して、性愛に耽るのは自分とだけにして欲しいというのは、それは愛でもなんでもなく自己中心的な所有欲です。
本当にロレインという人間を愛しており、彼女の幸せを願うのであれば、まずは彼女の価値観や考え方を尊重すべきです。
しかし彼はそんな彼女の主体性を否定し、自分の保守的な考え方を押し付けようとしてしまいました。

そんなRJを真っ先に殺すことで、自分と付き合っているのだから他人と(性愛に限らず)関係を結ぶなというような、「所有」を前提としたある意味現代的な恋愛関係に対してもカウンターを食らわせているという点で、「ホラー映画あるある」への単なる逆張りでは終わっておらず、非常に上手い作劇であったと思います。

パールが象徴するもの

Ti West's 'X' Approaching $10 Million at the Box Office - Bloody Disgusting
©A24

ここまで述べてきた内容はどれも本作の大きな特徴たちですが、最も特筆すべき特徴といえば、やはり殺人者となるパールの描かれ方でしょう。

彼女はひたすら凄惨な殺し方で次々に若者たちを屠っていきますが、単なるサイコキラーというわけではありませんでした。
彼女もまた(かつては)一人の人間であり女性だったことがしっかり描かれます。

パールが若者たちを殺す原動力は、手にしていたものを失うことへの恐怖でした。
彼女がかつて手にしていたものとは、「性(=生)」です。
もう少し具体的に言えば「若さ」「美貌」です。

そうした「性」こそが自身の最大の武器でありもはや存在意義でもあった彼女が、その「性」を失っていく時、それはもちろん「死」と同義であり、もう自分の向かう先が「死」一直線であることを自覚した結果、自分が失ってしまった「性」を持て余しているような若者たちへの憎しみが生まれ、死ぬしかない自分の道連れにするかの如くとにかく若者を殺しまくります。

こうした「性=生」への執着というと、最近では『TITANE/チタン』(2021)に登場するヴァンサンという男がいました。
彼はアレクシアという存在と出会えたおかげでパールのような破滅は免れましたが、彼も男性性の喪失に対して非常に大きな怒りと絶望を抱えた人物でした。

この「性の喪失」、「老い」というものへの恐怖も非常に現代的なテーマであると思います。
日本はずば抜けていますが、日本だけでなく多くの先進各国では少子高齢化が進んでいます。

今から数十年後、よほどの社会的地位があれば別ですが、我々は労働市場では役に立たなくなり、年金や生活保護などの社会福祉に頼らなければ生きていけなくなります。
そうすると若者世代からは社会のお荷物、邪魔者扱いされます。

パールとハワードはまだ人を殺して回れるくらい元気ですが、そのうち歩けなくなったり、認知症になったり、介護など他者の手を借りずには生きていけなくなる日が来ます。
そうなった時、特に今後の日本では少子化も深刻で労働者も今より遥かに不足しているので、高齢者の人口に対して介護士の数が足りず、高齢者が好きな介護士を選んでサービスを受けるのではなく、介護士が好きな高齢者を選んでサービスを提供する時代がやってきます。
高齢者たちは介護士である若者たちに選ばれなければならないため、「年上を敬え」と威張ることもできません。

そんな時、パートナーでもいればまだマシですが、生涯未婚率は現時点でも3割を超えており依然増加傾向、孤独死も年々増えています。

そんなこの先の社会を考えれば、今自分が手にしている「若さ」や「美貌」、「元気」といったものが全て失われていくという現実を受け入れなければならないのは恐怖でしかないのではないでしょうか。

パールはマキシーンに対して「お前もいずれこうなる」と伝えます。
それに対しマキシーンは「私らしくない人生は受け入れない」と言い放ち、パールにとどめを刺します。

しかし、パールの「お前もいずれこうなる」という発言は、どう考えても真実です。
いくら「受け入れない」と言い続けようが、時が経てば彼女の持っていた「性」は失われます。
人は時間が経つほどに老いていき、いずれ死にます。
これは生物である以上受け入れるしかない事実です。

そして何よりパールのこの発言が真実でありかつ非常に重いのは、パールもかつては「私らしくない人生は受け入れない」と思い続けた女性であったはずだからです。

つまり、マキシーンはパールを乗り越えて今回の惨劇を生き延びましたが、最終的に彼女の行き着く先はパールなのだということです。

本作はマキシーンとパールどちらもミア・ゴスが演じています。
このことからも、パールもかつてはマキシーンのような女性であり、「私らしくない人生は受け入れない」と思い続けていたが、いつかは全てを失い「私らしくない人生を受け入れなければならない」時が来るのだという事実を示していると思います。

そしてこれからのマキシーンは、パールから今の自分が辿り着く将来を垣間見ることで、それ以外は受け入れたくないと考えている「私らしい人生」とは何かを改めて考えることになるでしょう。

気になる点

X' movie review: The Texas Horndog Massacre
©A24

最後に、本作に対して若干気になった点を二点挙げておきます。

まず一点は、前半のテンポ感です。
本作の前半に関しては、どちらかといえば「A24作品」を求めて来たような観客向けの、少しゆったりとキャラクターを掘り下げていく展開になっており、後半のような「スラッシャー」「スプラッター」を求めて来た観客にとってはかなり鈍重な展開に感じられてしまうのではないかと思います。
ここに関しては、もう少しテンポを上げめにしてくれてもよかったように思います。

もう一点は、モザイク問題です。
現在の日本の法律上仕方のないことなのでしょうが、セックス中の挿入部分にクソデカモザイクがかかるのは本当に冷めます
特にこの映画は、RJが発言し周囲も同意していたように「ポルノだってアートとして成立する」というメッセージも含んだ映画のため、そんな映画でセックスシーンにクソでかモザイクが入ってしまっては台無しです。

そもそもこうした表現を殺さないためにあるのが「レイティング」によるゾーニングではなかったのか。
レイティングを設定したなら、その基準をクリアして鑑賞している観客に対しては全て見せるべきではないのか。

また、全裸の死体の男性器や遠くから見えるジャクソンの男性器にはモザイクが入らないくせに、どんなに惨い殺し方をされても死体の映像は無修正のくせに、セックスだけは断固としてクソデカモザイクが入るというのも、このモザイクのバカらしさを強調させます。

日本の法律はポルノをアートとして成立させる気は全く無いようです。残念です。

おわりに

本記事の後半で述べたように、マキシーンとパールの関係を考えればこの物語の主人公はパールであるとも言えます。

実際、この『X エックス』の物語は全三部作となる予定で、次回作は若い頃のパールの物語であることが既に告知されています。

パールの若かりし頃が描かれた後、最終作はどんな物語になるのか。
それを劇場で、というより日本で見届けるためには、まずは本作をヒットさせて続編が日本で配給できるようにならなければなりません。

つまり、みんなとにかくまずは本作を劇場で鑑賞しよう!

おわり

コメント

タイトルとURLをコピーしました