作品情報
制作年 | 2021年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | リドリー・スコット |
出演 | レディー・ガガ アダム・ドライバー |
上映時間 | 157分 |
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あらすじ
貧しい家庭出身だが野心的なパトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)は、イタリアで最も裕福で格式高いグッチ家の後継者の一人であるマウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)をその知性と美貌で魅了し、やがて結婚する。
引用元:公式サイト
しかし、次第に彼女は一族の権力争いまで操り、強大なファッションブランドを支配しようとする。
順風満帆だったふたりの結婚生活に陰りが見え始めた時、パトリツィアは破滅的な結果を招く危険な道を歩み始める…。
巨匠リドリー・スコット監督最新作ですね。
前作「最後の決闘裁判」の公開からわずか3か月後の最新作ということで、もはや異常と言えるその仕事の速さを見せつけてきたリドスコさん。
ちなみに、「最後の決闘裁判」についてはpodcastで感想を述べているのでよろしければそちらもお聞きくだされば幸いです。
つい先日には中世フランスを舞台にした歴史劇を作ってたと思ったら、今度はいきなり1995年のグッチ一族崩壊の話なんて「ギャップすごいな、いったい何なんだ」と思っていました。
実際映画を見てみたところ、「いったい何なんだ」と思ってしまいましたね…
全体的に、というか根本的に、本作は原作とリドリー・スコットとの相性がイマイチだったような印象を受けました。
その辺のイマイチだったところを中心に書いていこうと思います。
公開前から話題だった本作
本作は、GUCCIという実在のブランドとその一族を実名で扱っており、しかも本作の主人公で最終的に殺人で逮捕されるパトリツィア・レッジャーニはまだ存命という状況で製作された作品です。
そのため当然というか案の定、パトリツィア・レッジャーニ本人や現在のグッチ一族からは抗議があり、特にアルド・グッチの娘であるパトリツィア・グッチ(ややこしい)は、「この一族を金儲けに利用された」「越えられない一線がある」と言ってブチ切れています。
そんな反応に対してリドリー・スコットは、「あなた方のように、一族の一人は妻に殺されていてもう一人は脱税で逮捕されているような一族が、私に向かって金儲けの話はできないはずだよ」や、「アル・パチーノに演じてもらってまだ不満か」というような、「果たしてそれでいいのか?」的な反論を繰り広げています。
また映画公開後には、GUCCIのデザイナーとして実際にマウリツィオ・グッチたちと仕事をしており、映画の後半で彼の役も登場するトム・フォードが、この映画を見てボロクソに酷評しているのも話題になっています。
華麗なるグッチ一族
本作は一流俳優たち演じるグッチ一族というのが一番の見どころだと思います。
家族内での権力争いの末、自滅していくことになる主要人物5人を順番に見ていきます。
ロドルフォ・グッチ
本作に登場する一族の中では最も保守的で、GUCCIの世界展開に反対だっただけでなく、自身も過去の栄光に囚われた人物として描かれていました。
パトリツィアを家族として認めていなかったものの、孫が生まれた途端に掌を返してしまっていました
これはチョロかったとも言えますが、この時は愛する息子もGUCCIから去ってしまい、今や自分にはもう “あの頃” のGUCCIしかないという状況で、息子が孫を連れてきたというのは、ブランド以外にもついに自分の生きた証のようなものが残ったということで、さぞ嬉しかったんだろうなという悲しいシーンでもありました。
ロドルフォを演じていたのはジェレミー・アイアンズでした。
ベン・アフレック版「バットマン」シリーズのアルフレッドや、ドラマ版「ウォッチメン」のオジマンディアスでおなじみですね。
ロドルフォで気になったところというと、目の周りのクマは明らかにやりすぎだったと思います。
特にデザインを見せに来たパオロに対して「お前は無能すぎる」と告げるシーンでは、もはや吸血鬼ノスフェラトゥレベルのクマだったと思いますが、あれはいいんでしょうか…
アルド・グッチ
兄のロドルフォとは対照的に、GUCCIブランドの拡大に尽力している人物で、基本的には彼がアメリカをはじめとする世界へブランドを展開していったようです。
儲かりはしたようですが、世界中に広がりすぎてしまった結果ラグジュアリーブランドしてのGUCCIの価値を下げることとなり、この点が後に経営者となるマウリツィオが苦労した部分のようです。
パトリツィアの存在を知った当初は、このマウリツィオ・パトリツィア夫妻を受け入れることで恩を売ると同時に、二人が対立しているロドルフォを孤立させようというなかなか上手いムーブをかましていましたが、合わせて脱税というしょーもないムーブもかましていたために、息子の手によって刑務所行きになるというちょっと残念な人でした。
アルドを演じたのは名優アル・パチーノでした。
今回のアル・パチーノは、作品の方向的に間違いなく意図的だとは思いますが、なんというか演技がやけにオーバーでしたね。
アル・パチーノ全力の絶叫は非常に見応えがありました。
パオロ・グッチ
アルドの息子であり、デザイナーとしてGUCCIで活躍したいという気持ちだけは誰にも負けていないのですが、センスと才能が全くついてこないというとても悲しい人物でした。
劇中のパオロは、才能がないどころか周囲に迷惑ばかりかける圧倒的な愚者として描かれていました。
実際のパオロ・グッチも、劇中に登場したようなコーデュロイのスーツを着たり、勝手にビジネスを立ち上げてGUCCIをクビになったりした困った人だそうですが、一応一時期はGUCCIのチーフデザイナーを務めていたり、GUCCIで有名なあの「GGロゴ」のデザインに関わったりと(”関わった”というのがどの程度なのかは不明ですが)、なんだかんだ頑張っていた人のようです。
と、少し擁護もしたくなるほど見ていて悲しい人物でした。
パオロを演じたのはジャレッド・レトでした。
彼はリドリー・スコット映画に出た過ぎて、「何でもやります!」的なことを言って頼み込んだ結果、もはや別人のような特殊メイクでパオロ役を演じることとなったそうですね。
これに関して、映画を見るまでは「わざわざ特殊メイクで再現してまでやる必要あるのか?」とずっと疑問でしたが、映画を見てみるとこの特殊メイクで演じているという頃が思いのほか活きていたと感じました。
パオロ・グッチという、本人は気付いていないがなんだかグッチ家に馴染めていない、「どうしても浮いてしまっている感」というのが、一人だけ別人級の特殊メイクで登場するジャレッド・レトからは出ていたと思います。
本作においてはこの要素がプラスに働いていたのだと思いますが、ジャレッド・レトの演技からはコレジャナイ感をいつも覚えてしまうんですよね。(マイナスに働いているのが「スーサイド・スクワッド」)
今回の特殊メイク役作りも、ゲイリー・オールドマンのウィンストン・チャーチルや、クリスチャン・ベイルのディック・チェイニーと比べると「別にいいんだけどやっぱりなんか違う…」って思っちゃうんですよね。
ジャレッド・レトに何も恨みとかはないんですけど、なんかなあ。
一つフォローしておくと、ジャレッド・レト演じるパオロは「目がとてもよかった」と思います。
普通にしてても何か悲しげな目をしていて、本作では唯一感情移入する余地のある人物だったのではないかと思います。
マウリツィオ・グッチ
もともとGUCCIにはあまり興味がなく将来は弁護士になりたかったのだが、パトリツィアと出会った最後、一族の元へ戻っていき、最終的にはGUCCIも自身の人生も破滅へと向かっていくことになりました。
マウリツィオの初期の立ち位置は、どうしてもマイケル・コルレオーネを思い出さずにはいられないですよね。
グッチ家もイタリア人だし、絶大な力を持っている一族だし、アル・パチーノいるし、初期はロバート・デ・ニーロが出演するなんて話も出ていたし。
なんですけど、この「ゴッドファーザー」との類似性というのは、正直この映画に対してはノイズになっていると思います。
はっきり言って「ゴッドファーザー」と比べてしまうには、このグッチ家のストーリーは展開も顛末もお粗末すぎるためです。
作り手も「ゴッドファーザー」との類似性は自覚しているので、音楽遣いや色遣いといった面でかなり「ゴッドファーザー」との差別化を図っていると思います。
ただ、結局はアル・パチーノの存在やイタリア人ファミリーという設定から想起される「ゴッドファーザー」感はぬぐい去ることができず、そのイメージが結果としてグッチ家のストーリーのしょうもなさを強化している印象になっている気がします。
マウリツィオ・グッチはアダム・ドライバーが演じました。
前作の「最後の決闘裁判」から連続して出演ということで、どんだけ気に入られてるんだって感じですね。
前作のル・グリほどではありませんが、マウリツィオも特に後半はだいぶ勘違いしちゃってる人だったので、そのあたりの演技はさすがでしたね。
パトリツィア・レッジャーニ
彼女が本作の主人公となったわけですが、このパトリツィアという人は正直かなり問題のある人なんですよね。
世間的な評価として、基本的には「ゴールドディガー」、つまり金目当てでグッチ家に近づいた悪人で、“ブラックウィドウ” なんて呼ばれてますね。
今となってはその呼び方はマーベルのブラックウィドウに失礼みたいな感じになりそうですが…
この人は逮捕後も、精神科医に自己愛性パーソナリティ障害と診断されたり、出所後も「私は潔白(innocent)ではないが、有罪(guilty)ではない」、「彼(マウリツィオ)がもう一度私に会ったら、真っ先に私に謝るだろう」みたいなことを言っている、正直ちょっとヤバい人なんですよね。
本作はそんな彼女を主人公に据え、確かに金目当ての側面はあったが、しかし一方では本当にマウリツィオを愛していたのも事実という複雑なキャラクターとして描かれていました。
パトリツィアを演じたのはレディー・ガガでした。
ここに関してはほぼ満場一致だと思いますが、やはり彼女の演技は見事でしたね。
自分をよそ者扱いする男性社会で男性たちと対等に渡り合ってくパワフルさはもちろん、マウリツィオとの関係性において、富や名声といった欲望と愛とが入り混じる感情のようなものを見事に体現していたと思います。
本作の気になるところ二点
これまで各キャラクターに沿って感想を述べてきましたが、お話の全体的な部分で特に見ながら気になったところを大きく二点挙げたいと思います。
誰にも感情移入ができない
物語の主役であるパトリツィア、マウリツィオには感情移入ができないんですよね、なんならグッチ一族の誰にも感情移入できないんですよね。(強いて言えばパオロか)
もちろん映画は感情移入が全てとは思っていません。
しかし本作はグッチ一族の崩壊を描くとは謳われていますが、基本的にはパトリツィアとマウリツィオのメロドラマが中心なので、この二人にはある程度感情移入させてもらわないと、どんどんお話自体への興味がなくなってしまいます。
と思うのですが、まずパトリツィアには感情移入できないんですよね。
特に離婚後のマウリツィオへの恨み方にはちょっとついていけないです。
殺人に踏み切るのも早すぎる(ように見える)し、そもそも殺すのは一番誰も得しないだろっていうツッコミが入らざるを得ません。
また、パトリツィアは間違いなく「強い女性」だとは思いますが、実際の人物がかなり問題のある人というか、最終的に嫉妬とお金に狂って殺人を犯した挙句反省もしていない人なので、あまりそういったいわゆる「強い女性」としてとらえてしまうのはどうなんだろうと思ってしまいます。
そしてマウリツィオも感情がイマイチ見えにくいところがあると思います。
一応離婚前からパトリツィアへの不信感というのは描かれていましたが、それにしてもいきなり離婚するので、この時のマウリツィオは完全に、久々に会った綺麗な幼馴染に目がくらんだ性欲おじさんにしか見えないんですよ。パトリツィアどころか母親の名を付けた自分の娘にも愛がないんだね君はっていう。
そしてこの肝心の二人がこんな調子というのは、実際の二人がそうだったからということなのでしょう。
そう考えると、そもそもドラマとしてこの話を描いたのが良くなかったのではないかと感じます。
物語へのアプローチ
これに関してはリドリー・スコット本人も言っていますが、このグッチ一族崩壊の話というのは、とにかく滑稽な話なんですよね。
パオロに限らず、結局創業者以降の子供たちには経営者的なセンスが乏しく、その結果家族同士でのいがみ合いの末家族に死人が出る始末で、最終的には自分たちの名前が冠されたブランドから追い出されちゃうという、なんともお粗末な話ですよ。
そんな話なので、映画も思い切りコメディに振り切った方が良かったのではないかと思います。
本作も、パオロ周りやアル・パチーノのオーバーアクトなどコメディ調だったものの、一方で主眼はパトリツィアとマウリツィオのドラマに置いているため、我々はこの映画をどちらかというと真面目に見るんですよね。
でも真面目に見るにはやっぱりこの話は馬鹿馬鹿しいんですよ。
この話は、それこそ「アダム・マッケイ的アプローチ」で語ればもっと面白くなったと思います。
ただ、そんな映画にしてしまったらいよいよグッチ一族が法的措置に動き出しそうですね。
おわりに
リドリー・スコットはインタビューで、「グッチの物語は風刺だ」と言っていますが、正直ちょっと弱かったんじゃないでしょうか。
それはリドリー・スコットの前作「最後の決闘裁判」と比べてもそうだし、先ほど監督名を出しましたが、我々はごく最近「ドント・ルック・アップ」というもはや笑ってる場合ではない強烈な風刺を目の当たりにしてますからね。
やっぱり当事者本人のパトリツィアが存命だったり、彼らは政治家でもない一応ただの大富豪家族ということにはなるので、これ以上登場人物たちを実名で使い、なおかつコケにするような映画にはできなかったということでしょうかね。
とはいえ、政治家でもない存命の人物を題材にしたこんな映画をよく作れたなと思います。
良くも悪くも「やっぱアメリカすげえ」って感じですね。
おわり
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