『アメリカン・アニマルズ』(2018) ネタバレ解説 感想|一風変わった青春映画の傑作

解説・感想
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作品情報

制作年2018年
制作国アメリカ
監督バート・レイトン
出演エヴァン・ピーターズ
バリー・コーガン
ブレイク・ジェンナー
ジャレッド・アブラハムソン
上映時間116分

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あらすじ

くだらない日常に風穴を開けたい、特別な人間になりたいと焦がれる2人は、大学図書館に貯蔵される貴重な本を盗み出す計画を思いつく。
手に入れれば1200万ドル、誰よりも自由を求めるウォーレンと、スペシャルなことを経験したいと願うスペンサーは仲間集めを始めることに。
目をつけたのは、FBIを目指す秀才エリック(ジャレッド・アブラハムソン)と、当時既に実業家として成功を収めていたチャズ(ブレイク・ジェナー)。
彼らは互いを『レザボア・ドッグス』に習い「ミスター・ピンク」「ミスター・ブラック」などと呼び合うのだった。
強盗作戦決行日、特殊メイクをして老人の姿に扮した4人は遂に図書館へと足を踏み入れる――。

引用元:公式サイト

本作を監督したバート・レイトン監督は、ドキュメンタリー出身の監督で、劇映画に関しては前作の『The Imposter』(2012)に続いて本作が二作目になります。

彼の手腕はハリウッドではかなり評価されており、一部報道によれば一時期はダニエル・クレイグ主演のあの『007』シリーズ最終作の監督の候補だったようです。
ところが彼は「自分の手には余る」として丁重に断ってしまいました。

その結果、巡り巡ってキャリー・ジョージ・フクナガ監督に決まり『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2019)が製作されることになります。

そんな007シリーズの監督をオファーされちゃうほどの腕を持つ監督が撮った本作は、青春映画として傑作でしたので、青春映画として楽しもうという観点から本作を紹介しようかと思います。

サスペンスではなく青春映画

American Animals Director on His “Slick As Fuck” Heist Movie
© AI Film LLC / Channel Four Television Corporation / American Animal Pictures Limited 2018

この映画は実在の窃盗事件を題材に、実行犯の少年たちの目線からこの事件の計画、実行、そして失敗とその後までを描きます。

ただこの映画が本当に描きたいのは、この事件の詳細な内容ではありません

実行犯の少年たちがなぜ一線を越えてしまったのか。
事件当時に彼らが何を想い、何を考えていたのか。
そして計画に失敗し、有罪判決を受けて刑を全うし終えた現在、彼らがこの事件をどう受け止めているのか。

実行犯である少年たちのこうした内面こそがこの映画の肝です。

なので、当時行われていた宣伝のように、「ハリウッド映画を真に受けて本当に窃盗をしてみた結果」のような、「ケイパーもの」として鑑賞するのは得策ではありません
そのように見てしまうと、きっと少年たちの愚かさにイライラしてしまうことでしょう。

学生時代など若い頃に誰もが経験するような思いを、犯罪という側面から描いて見せる「青春映画」として鑑賞すべきなのがこの『アメリカン・アニマルズ』です。

ドラマとドキュメンタリーの融合

アメリカン・アニマルズ』事件の犯人役に実際の犯人を起用!驚きの演出と各俳優の役作りとは | Fan's Voice〈ファンズボイス〉
引用元:https://fansvoice.jp/2019/05/09/american-animals-true-story/

本作一番の特徴はその作劇でしょう。

実際の事件を題材として、俳優による再現ドラマをやっているのはもちろんなのですが、この映画には合間合間で実行犯である少年たち本人や関係者へのインタビュー映像が挟みこまれます。

この映画の作りのイメージとしては、本人たちのインタビューで行われる証言に基づいて、該当のシーンが俳優たちによって再現されるといった具合です。

この「証言に基づく再現映像」というスタンスも面白く、彼らが当時を思い返す中で何かを言い直したり、メンバー同士で記憶の食い違いが発生すれば、都度映像を修正してやり直すというな見せ方を行います。

俳優たちによる劇映画としてのドラマと、本人たちが自身の言葉で当時を振り返るドキュメンタリーとが並行して語られていく作劇、そしてドラマ部分の子気味良い編集が相まって、まずは作劇の面で非常に珍しい映画になっており、この映画の大きな魅力になっていると思います。

何者にもなれないことへの焦りや苛立ち

Review of 'American Animals,' starring Barry Keoghan and Evan Peters.
© AI Film LLC / Channel Four Television Corporation / American Animal Pictures Limited 2018

自分は何者でもないという現実

この映画は実行犯本人たちが登場し、感じるがままリアルな心境を語っているだけあって、若かりし頃に誰しもが抱くであろう心境をこれでもかと切実に描いていると思います。

それは人はやがて自分は何者でもない、特別な存在ではないということに気付く」というものです。

このあたりの心境については、実質的な主人公として描かれるスペンサーが映画冒頭で語ります。

自分は芸術家になりたかった。
世に出ている芸術家たちは大抵、普通の人が経験しないような劇的な経験であったり不幸な経験をしている。
しかし自分にはそれが無い。
周りよりちょっと絵が上手いだけでは芸術家になんてなれないんじゃないか…

このような思いは、芸術家を目指していなくとも誰しも一度は抱いたのではないでしょうか。(なんなら今だって)

小さい頃は好きなことや得意なことがあればそれを好きにやって問題ありませんでしたし、なんなら周囲は自分を褒めて甘やかしてくれたかもしれません。

しかし、徐々に成長して見える世界が広がってくると、自分の好きだったり得意だったりしたことが、自分よりも好きだったり得意な人たちがごまんといることを思い知ります。

そして大学生くらいになってくると、学生時代というモラトリアムの終焉、そして社会に出るといういわばタイムリミットがいよいよ眼前に迫ってきます。

社会に出るとなれば、今までのように自己満足で好きなことをやっているだけでは生きていけず、この資本主義社会の中でどのようにして生き残るか、自ら選択しなければならないという現実が襲い掛かります。

そんな時、スペンサーのような心境が訪れます。

自分の好きなこと、得意だと思っていたことで食べていくのは不可能なのではないか。
かといって、やりたくもない仕事に就いて、毎日苦痛を覚えながら延々と労働に明け暮れる人生を過ごすのか。

果たして自分は本当にこのままで良いのか。
これが俺の人生なのか。

スペンサー同様、ウォーレンも似たような心境にありました。

こんな人生で良いのか。
いや良くはない。
自分の望む人生を送るため行動を起こすのにはまだ間に合うのか。
時間はないが、何かデカいことを成し遂げればきっと…

こうしてスペンサーとウォーレンは、手っ取り早く何かデカいことを成し遂げようと、犯罪に走ってしまうことになります。

ここでなぜ彼らが犯罪に走ってしまったのかと言えば、そこにはやはり「焦り」の存在が大きかったのだと思います。

学生時代というモラトリアムの終焉を前に、人生を変えるチャンスはもう今しかないのだと焦っていた矢先、目の前に超貴重だと言われる本が目の前に現れます。

この本で他の誰もやったことがないことをすれば、それが「デカいこと」になるのではないか。
その先にもしかすると自分たちのまだ知らない世界が広がっているのではないか。

「己の無力さ」への自覚や周囲に対する「劣等感」、そこから立ち現れる漠然とした「ここではないどこかへの期待」と、もう子供という身分ではいられなくなることへの「焦り」

彼らは窃盗と暴行という紛れもない犯罪行為に走ってしまったわけですが、その背景には、もう嫌になってしまうほど普遍的な、誰だって一度は抱えたであろう感情がありました。

自分の存在を証明したい

この窃盗事件の実行犯として後から加わるメンバーが二名いました。

それがエリックとチャズです。
この二人が計画に参加してしまう動機というのも青春時代らしい切実なものでした。

エリックは、FBIへの就職を目指す秀才でした。
彼はこの計画に参加した動機として、「喧嘩してしまったウォーレンとの友情を取り戻したかった」と述べていましたが、どうもそれだけだったとは考えにくいでしょう。

彼の登場シーンで描かれる授業態度やFBIという就職先を考慮すれば、彼の「周囲の人間を見下しがちで、世の中をナメている」節が見てとれます。
だから、彼がこの計画への参加を決意した背景には、「自分ならやれる」という自己への過信は間違いなくあったと思います。

このような、表には出さずとも周囲を下に見る構え、過剰な自信や自意識というものも、誰もが内に秘めているはずの極めて普遍的な「若さ」ではないでしょうか。

一方最後のメンバー、チャズが参加を決意した背景というのも多くの人に刺さる部分があるのではないでしょうか。

彼は裕福な家に生まれ、子供の内から起業家として社会的な成功を手にし、スポーツマンとしても活躍しています。
そんな何の不自由もない人生を送っているように見える彼がなぜ犯罪に手を染めてしまったのか。

それはもちろん、彼がその「何の不自由もない人生」に縛られてしまっていたからです。

インタビューを受ける彼の両親や、幼くして起業しているということから見るに、彼は幼少期から親による抑圧を常に受け入れ、言いなりになり続けた結果、社会的な成功こそ手にできたものの、彼の人生は主体性を欠いた空しいものになってしまっており、そしてついにそのことに自ら気付いてしまったのだということが窺えます。

そんな時にウォーレンたちから誘いを受けます。

彼は、自らの主体性を失ってしまったこの人生を変えたいと思いながらも行動を起こせずにいたために、この誘いに乗ることこそが、親の影響力を全て排除した、自分の力だけで何かを成し遂げるチャンスであると捉えてしまいます。

彼らが犯罪に及んでしまったのは、彼らが善悪一切の分別をつけられないほど愚か(愚かではあるが)なわけでも、サイコパスだったわけでもなく、「自分の力で、自分の存在を世界に示したい」という、我々と何も変わらない悩みや思いに駆られてのものでした。

若さとイタさがほとばしる計画と実行

強盗の教科書はあの映画!『アメリカン・アニマルズ』本編シーン映像が公開 | Fan's Voice〈ファンズボイス〉
© AI Film LLC / Channel Four Television Corporation / American Animal Pictures Limited 2018

一つの目標に向かって突っ走ることの楽しさを知る「計画」

このように、我々同様彼らの中にもあった「若さ」やそれゆえの「イタさ」によって本の窃盗計画に着手してしまいます。

確かに彼らの計画は杜撰にも程があります。
大真面目にハリウッド映画を実際の犯罪の参考にするなど、あまりにバカげています。
しかしここで重要なのは、この計画中の彼らは本当に無邪気で、楽しそうで、充実しているということです。

印象的なのは、スペンサーがこの窃盗計画に着手し始めることでようやく「笑う」ようになるという変化です。
犯罪であるということにいったん目を瞑れば、これまで無力感や劣等感、親からの抑圧に苛まれてきた若者たちが、自分たちの意志で、自分たちだけの力で、誰も成し遂げたことのない一つの目標に向かって突き進んでいくことで、彼らが始めて「自分で」自分の人生を歩み出すのです。

そこから得られる充足感、そして緊張感を彼らは身をもって実感します。

自らの手で自らの運命を決する「実行」

ついに計画実行の時が来ます。

一回目は現場に予想外の状況が起きていたことへの動揺と、自分たちが思いの外ビビってしまったため撤退に終わりますが、二回目でついに決行します。

実際の事件の顛末を知っているにもかかわらず、このシークエンスの緊張感は、彼らが参考にしていた『オーシャンズ』シリーズなどのケイパーもの映画に匹敵しているどころか、凌いでいると言っても問題ないでしょう。

ちなみにバート・レイトン監督によれば、キャストたちにはシドニー・ルメット監督、アル・パチーノ主演の名作『狼たちの午後』(1975)を見てもらったと述べています。

この映画も「素人が重大犯罪を企てて失敗する」という実話ベースの映画です。
確かに、本作での素人が杜撰な計画で犯罪を実行してしまうヒヤヒヤ感、計画が崩壊してからの主人公たちの動転ぶりなどは、『狼たちの午後』を大いに参考にされていることが窺えます。

そんなわけで、このシークエンスは圧倒的な緊張感と若干のユーモアに満ちているのですが、それと同時に誤解を恐れずに言えば、興奮を覚えます。

なぜ興奮を覚えてしまうのか。
ここでも重要なのはやはり彼らの心情です。

彼らはこの日のために、自分たちの力だけで、ちょっとした危険も冒しながら四人で協力して準備をしてきました。
そして今日、とうとうその自分たちの力が試されるのです。

自分は何者でもない、世の中には自分より優れた人が山ほどいる、自分は常に親の敷いたレールに乗っていただけ、と考えながら生きてきた彼らが、己の力でデカいこと(=向こう岸に辿り着く)を成し遂げ、世界に自分の存在を証明できるかどうかの瀬戸際に立たされます。

図書館で極限の精神状態に達した彼らは、そのことでまさに今自分が自分の人生の主人公であることを痛感し、人生で初めて自分の「生」をこれでもかと実感します。

しかし彼らの「生の実感」と我々がシンクロする時、ついに彼らと我々を一瞬にして現実へ叩き落とす瞬間が訪れます。

それが「グーチさんという被害者の発生」です。

被害者の発生と幕引き

In American Animals, Crime Doesn't Pay | Vanity Fair
© AI Film LLC / Channel Four Television Corporation / American Animal Pictures Limited 2018

計画では本の管理をしているグーチさんはスタンガンを一発打てば問題なく気絶し、何事もなく鍵が手に入ったはずでした。

しかし現実はスタンガンを一発当てた程度では気絶などせず、泣き叫ぶ彼女に何度もスタンガンを当て、意識のある状態で縛ることになりました。

そして彼女は恐怖のあまり最終的には失禁してしまいます。

この出来事が当事者の彼らだけでなく、この物語を見守ってきた我々をも現実へ引き摺り戻します。

思春期の鬱屈から最初は軽い気持ちで始めた冗談のような話が、徐々に夢中になり、やがて引っ込みがつかなくなり、いつしか誰が見ても明らかなはずだった、越えてはいけない一線すら見えなくなってしまったことにようやく気付きます。

この映画を見ている我々も、主人公たちに自分の青春時代を重ね、いつの間にか彼らをどこか応援してしまうように、微笑ましく見てしまっていたのですが、やはり彼らの行いは犯罪に他ならず、何の罪もない人を傷つけてしまう行為であったことを思い出します。

ここから先は、もう何もかもが上手くいきません。

窃盗は失敗に終わり、何とか持ち出したその他の本を売ることにも失敗、その後彼らはグーチさんに暴行を加えたことに対する罪悪感で精神状態も崩壊寸前になり、最終的には全員逮捕され有罪となります。

彼らの青春時代は、「若気の至り」では済まされない、取り返しのつかぬ過ちによって終わることになりました。

あなたは彼らを馬鹿にできるか

American Animals Manages to Reward Some Men Behaving Badly | Westword
© AI Film LLC / Channel Four Television Corporation / American Animal Pictures Limited 2018

「ハリウッド映画を真に受けて本当に窃盗を行ってしまった大学生」という外側だけ見れば、はっきり言って愚か者でしかありません。

しかし、この映画を通して彼らの当時の心境や歩んできた人生を垣間見た今、果たして彼らを単に馬鹿だと言って切り捨てることができるでしょうか

犯罪という方向へ突き進んでしまったことは明らかに間違いですが、彼が自分たちの力で一つの目標に向かって不可能とも思える挑戦をしたという事実は残っています。

そのような目標に本気で挑んだ経験のある人が一体どれだけいるでしょうか。

若くして社会的に成功している方々なんかは、そうした挑戦をして上手くいった方々なのでしょう。
そうした方には、この主人公たちが途方もない愚か者に見えてしまうのは仕方ないと思います。

しかし、私を含め大半の方々は、主人公たちのように「無力感」「劣等感」に苛まれる子供時代を送り、「親の敷いたレール」に乗っかったまま何となく就職したりして、彼らのように「自分が人生の主人公であると実感する瞬間」や「自らの生を実感する瞬間」などを経験しないまま、自らの主体性を欠いた人生を送っているのが現実ではないでしょうか

政府の調査(子供・若者白書)によれば若者の過半数が「自分自身に満足しているか」という問いに対して「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」と回答
日本は2022年世界幸福度ランキングで先進国最低レベルの54位

というデータがその現実を物語っているように思います。

私自身、まさに上で述べたような「親の敷いたレールに乗っかり続けた」人生で、なんとなく年を重ねてきてしまった人間です。
『ロッキー』的に言えば、ロッキー・バルボアとは正反対に「やるかやらないか」の二択で「やらない」を選択し続けた人生です。

一方彼らは、方向が間違っていたとはいえ「やる」を選択した人々です。
「やらない」を選択してきた人間が、内容が間違っていたからといって「やる」を選択した人間を批判できるのでしょうか。

その批判自体は間違いなく正しいですが、しかしそもそもスタートラインに立てていない人間にそれを言われてもあまり説得力はありません。

要するに何が言いたいかというと、彼らの行動は他人事とは到底思えないということです。

私も彼らと同じような思いを抱えていました。なんなら今も少しあるかもしれません。
そんな20歳前後の時期に、もし自分がウォーレンを始め彼らのような人たちに誘われたら、少なくとも100%絶対に乗らなかったとは言い切れないだろうと思います。

この映画は、住む国や世代が全く異なる我々にもそう思わせてしまうほど、痛々しくもリアルで切実な青春が描かれた作品です。

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おわりに

この映画は実際の事件の当事者たちが出演していますが、その中で最も大事なのは被害者であるグーチさん本人が出演していることです。

この映画では彼女の失禁シーンが再現されていますが、そのシーンが入っているということは、彼女自身がそのシーンの挿入に許可を出しているということです。

彼女の勇気とこの作品に対する理解の深さにはリスペクトしかありません。

事件の実行犯である彼らの当時の心情や、その行動がもたらした結果の両方を重く受け止め、自分の今後の人生の糧としていきましょう。

おわり

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