作品情報
制作年 | 2022年 |
制作国 | アメリカ |
監督 | レイナルド・マーカス・グリーン |
出演 | ウィル・スミス アーンジャニュー・エリス サナイヤ・シドニー デミ・シングルトン |
上映時間 | 144分 |
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あらすじ
リチャードは姉妹が生まれる前にTVで優勝したテニスプレーヤーが4万ドルの小切手を受け取る姿を見て、「娘を最高のテニスプレイヤーにしよう!」と決意。
引用元:公式サイト
テニスの教育法を独学で研究し、「世界チャンピオンにする78ページの計画書」を作成。
誰もが驚く常識破りの“ドリームプラン”を実行し続けた。
お金もコネもない劣悪な環境下で、途方もない苦難、周りからの批判を受けながらも、そのプランでいかにして2人の娘が世界の頂点へ上りつめるのか―― ⁉
本作は世界的テニスプレーヤーであるビーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹とその父であるリチャード・ウィリアムズが題材の(ほぼ)伝記映画です。
一応、クレジットはされていなかったかと思いますが「ビーナスとセリーナ テニスを変えた伝説の姉妹」という伝記絵本が原作的に存在しています。
ただ、本作はビーナスとセリーナ本人が製作総指揮として関わっているので、厳密には第三者が宣べ伝える「伝記」というよりは「自叙伝」のニュアンスが強いかと思います。
そして、当然ですがドキュメンタリーでもなくこれは劇映画です。
本作を鑑賞する上ではこれらの点は少し留意しておいた方が良いように思います。
さて、本作は2022年の第94回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、編集賞、主題歌賞という6部門でノミネートと非常に評価されている作品です。
同年のゴールデングローブ賞ではウィル・スミスが主演男優賞を受賞し、日本の宣伝では「ウィル・スミスはアカデミー賞受賞確実!」なんて言うほど特にウィル・スミスの演技が注目されています。
「アカデミー賞受賞確実!」かどうかはわかりませんが、「アカデミーパンツ短すぎる賞」は受賞確実だと思います。
ただ確かに本作が少なくともウィル・スミスのベストアクトであろうことが素人目にもわかる程度には素晴らしかったと思います。
ただ個人的にはリック・メイシーを演じていたジョン・バーンサルのキャラ変っぷりにビビりました。
まさかパニッシャーがテニスコーチをやっているとは思わず最初は気付きませんでした。
よく考えれば「ナイト・ミュージアム2」(2009)とかにも出てる俳優ではありますが、「パニッシャー」やテイラー・シェリダン作品のイメージが強いためかなりびっくりしてしまいました。
ちなみにアカデミーパンツ短すぎる賞の過去の受賞作品は、「君の名前で僕を呼んで」(2017)のアーミー・ハマーと、「ターザン」(1999)のターザンです。
鑑賞前まで抱いていた “違和感”
最初に本作のテーマに関する話をしてしまうことになりますが、どうしても一言言わせていただきたい。
私は本作を鑑賞するまで基本的には映画館での予告編しか情報を入れていませんでした。
そしてその予告編だけを見る限り、本作に対して少々違和感というか嫌悪感を抱いていました。
それは予告編内でウィル・スミスがするこの発言です。
「俺は2人の娘を世界チャンピオンにする78ページの計画書を書いた。2人が生まれる前にね。」
これ、めちゃくちゃ嫌な話ですよね。娘二人の意志は?って感じです。
「自分が叶えられなかった夢を子供に背負わせる親」的な設定に見えてしまいます。
それをまるで “よきこと” のように「ドリームプラン」なんて名付けてどういうつもりなのかと非常に違和感を覚えていました。
しかしそんな作品がここまで評価されるはずがないのでちゃんと本作を鑑賞してみると、これは「ドリームプラン」などというタイトルから想像される話とは少し異なるということがわかりました。
なのでもし、この予告編で嫌悪感を抱いてしまって本作を見る気がなかった方がいれば、それは誤解なので見に行って大丈夫です。というかむしろ見に行っていただきたい。
はっきり言ってこれは宣伝の仕方に問題があります。
ただし、もっと言うと、本当に問題があるのはこういう宣伝をされてしまう我々観客です。
日本では「KING RICHARD」という原題に「ドリームプラン」などと名付けて、彼の作った計画書を “よきもの” として扱っていますが、本作は別に「このお父さんの作った計画スゲエ!」的な話が重要なのではありません。
「リチャードの作った計画」が本作の主題ではないし、この計画も重要ではありますが、最も重要なのはその内容ではなくそんな計画を作ることになった背景です。
現に海外の予告編では、この「78ページの計画書」のセリフは使われているものの中盤でさらっと使われるだけで特にフィーチャーしません。というかこのセリフが使われていない予告編もあります。
日本の予告編では「お金もない、コネもない」などと言っていますが、劇中で描かれる通り大事なのは「なぜ」お金もコネもないのかですよ。
もちろんその根本はレイシズムです。
しかし日本の宣伝は、そのレイシズム的背景ではなく「78ページの計画書」を前面に押し出しています。
ここから、「この映画を見てもらうには人種問題より計画書で売った方が良いのだ」という意図が垣間見え、いかに日本の観客がナメられているのかがわかります。
しかしいまだに「日本に差別はない」「日本の民度は高い」などとと言う人々もいるのが日本なので、この宣伝で正しいとなってしまうのが現状ですね。
リチャードの立てる計画
さて、「ドリームプラン」らしく計画について少し考えます。
そんな “ドリームプラン” はどのような計画だったのでしょうか。
この映画においては、もちろんその78ページにわたって書かれた一つひとつの内容それ自体が重要なのではありません。
重要なのはこのプランが作られることになった背景です。
それは本作を見ればわかる通り、アフリカ系アメリカ人に対するレイシズムやレイシズムに由来する経済的、社会的障壁です。
こうした障壁を乗り越えるため、彼らにはこのプランが必要でした。
計画を立てるきっかけ
リチャードは劇中で「大会で優勝したどっかのテニスプレーヤーが4万ドルという自分の年収ほどの賞金を受け取っているのを見てこれだと思った」というようなことを言っていました。
そこで娘たちをテニスプレーヤーにしようと計画を立てたわけです。
つまり元々のモチベーションは「お金のため」です。
ただ「自分は脚の怪我でテニスができなくなったから」というような弁解はしているものの、ぶっちゃけここには「自分が達成できなかった目標を自分の子供で達成してやろう」という意識もあったと思いますが。
加えて、テニスというスポーツをチョイスしているのも賢い選択です。
テニスは元々「貴族のスポーツ」とされていた通り白人のスポーツであるため参入障壁は高いものの、白人の世界で有色人種がのし上がることができれば大いに目立てるし、なにより彼ら家族が団結して戦う意味の非常に大きなスポーツと言えます。
そしてリチャードがこのような計画を立てた背景には「アフリカ系に対する労働差別や機会の不平等」があります。
自分は夜勤の警備員という仕事にしかなく就き妻も病院で働きづめ、それでもお金は不足しており、自分や妻が今から何かを頑張っても生活に金銭的な余裕が生まれる可能性はありません。
そして彼らの暮らすコンプトンのような街で健全に娘たちを育てるのはかなり困難です。
少しでも油断すれば、何か自ら行動しなければ時間の問題で地元のギャングスタに絡まれ、酒とドラッグに溺れて人生終了になりかねません。
自分の娘たちには何としてもそんな人生を歩ませたくはない。
その一心で彼は78ページに及ぶ計画書を書き上げます。
過剰にも見える「厳しさ」
リチャードのプランは非常に厳しいものです。
テニスの練習は休みなし。たとえどしゃ降りだろうが外で練習を行います。
厳しいのはテニスだけではありません。むしろテニスより最優先なのは「勉強」です。
それに加え映画冒頭では電話帳を配って回るという労働らしきこともしていました。
その厳しさは家族の外から一見すると常軌を逸しているように見え、最終的には通報されるほどです。
しかし、劇中でリチャードが訴えるようにこの「厳しさ」にも切実な背景があります。
つまり「こうでもしなきゃこの状況を打破できない」ということです。
自分が厳しすぎるということはリチャード自身も重々承知しています。
しかしリチャードにしてみれば、自分たちはこれほどまでに努力をし続けなければ、ろくな学力も得られずその結果低賃金な労働にしか就けない。もしこの努力をやめてしまえば周囲のチンピラたちと同じくこのコンプトンで落ちぶれていくだけ、そして他人は誰もこの状況を救ってくれないのだということです。
それで自分たちを「厳しすぎる」と非難するのは、リチャードに言わせれば「そんなんだから駄目なんだ」ということでしょう。
被差別側、マイノリティ側は既得権益者よりもスタート地点からして不利な状況に置かれます。
その差の存在を訴えるのももちろん大事ですが、そのスタート位置から勝ってやらないことには自分たちの生活は結局改善されないから、「やるしかないんだ」ということです。
既得権益者は相手を自分たちより劣っていると思いがちだがそんなことはないし、そう思えているのは既得権益者が彼らを初めから不利な状況に置いているから。
という状況は我々の身近にもありますね。日本の技能実習制度なんてその良い例ではないでしょうか。
日本へ主に東南アジア諸国からやってきた移民の一部が農作物や家畜を盗むというような事件が起こると、必ずネット上に一定数の「○○人には倫理がない」「○○人は犯罪者ばかり」などという直球ど真ん中なレイシストが湧いて出てきます。
これはまさに無知による短絡的な思考に他なりません。
なぜ移民による窃盗が増えるかといえば、お金がなく食っていけないからです。
そしてなぜお金がないかといえば、技能実習制度にかこつけて移民労働者を搾取する企業や個人が後を絶たないからです。当然これはみんな大好き「自己責任」でもありません。
もちろん、やむを得ない事情もなく犯罪に手を染める人間もいますが、それはどの国どの民族にも一定数いるので差別を許す理由にはなりません。
移民からの労働力の窃盗とも言える制度を頑なに守る人々が、果たして移民を盗人扱いする資格はあるのでしょうか。とても疑問ですね。
言うほど “ドリームプラン” か?
話が逸れてしまったので映画に戻します。
このように彼が立てるプランの裏にある背景を考えれば、この計画は予告編で抱くような「子供の人生を潰す親のエゴ」というイメージではなく、「(エゴもあるが)子供の人生を切り拓くためにやむを得ずとった手段」なのだということがわかります。
つまりここまでやらなければ彼らは成功どころかチャンスすら与えられないということであり、彼や彼女らにここまで強いているのは本質的にはこの社会なのだということです。
この計画というのは、彼や彼女たちが「純粋に夢を追いかける」的な、そんな純朴なものではなくて、非常に切実な社会的背景が反映されているものです。
なのでやっぱりこの計画書で本作を宣伝するにも「ドリームプラン」というタイトルはちょっとズレてると思います。
リチャード・ウィリアムズという人物
本作の主人公であるリチャードは、本人に忠実というわけではないようですが物語の主人公としては非常に魅力的なキャラクターでした。
なぜ娘の生まれる前に78ページもの計画書を作るのか
先ほどこの計画書についての社会的な背景をおさらいしましたが、彼の言動にも社会的な背景、それに起因する個人的な経験というのが非常に強く影響していると言えます。
本作を通してみればわかる通り、彼は傲慢で、エゴイスティックで、人の意見に耳を貸さない人間です。
そしてこれらもやはりレイシズムという社会的な背景が影響しています。
劇中にも描かれていたエピソードとして、自分が複数の白人からリンチを受けていたのに父親が一切助けてくれなかったという話がありました。
また、これは劇中には描かれていませんが、自分の親友がKKKに処刑された挙句警察がろくな操作をしなかったという経験もあると本人は語っています。
これらのトラウマによって「他人は一切助けてくれない」「自分の力で生き抜かなきゃならない」「信じられるのは自分だけ」という価値観が強烈に形成されることで、とにかく自分の計画に周囲を従わせ、自分もその計画を信じて疑わないという行動につながったのでしょう。
これらの強烈な経験を考えれば、彼のエゴイスティックさもある程度理解できるのではないでしょうか。
一方でそれらトラウマから反面教師的に、自分は父のようにはならない、そして娘たちには自分のような思いをさせまいと娘たちへに愛情を注ぎ、徹底的な献身といった信念も持っていました。
彼の “プラン” も完璧ではない
しかし彼の行動や理念は決して完璧ではなかったということを彼自身が思い知るのが終盤の妻との会話シーンです。
彼はここでついに(というかようやく)、自分の力でここまでやってきたと思っていたが全くそんなことはなく、どれだけ妻の支えがあったのかということを知ります。
同時に、娘たちのためだと言いながら自分のプランに娘たちを従わせてきたが、それでは結局娘たちの主体性を一切否定した、リチャードが自身のトラウマを克服するためでしかないのだということを思い知ります。
ここからリチャードは成長します。ここからが非常に感動的でした。
ビーナスが公式戦に出場したいという、それはつまりビーナスが全世界の黒人少女の代表になることを意味する重大な選択をビーナス自身に委ねます。
そして最後の試合。
ビーナスがピンチに陥ると、これまで娘たちの試合はまともに見てこなかった彼が自ら観客席へと向かい、彼女の勇姿を最後までしっかり見届けます。
彼は自分の父親と違い、娘から逃げませんでした。
そしてビーナスは、試合にこそ敗れたもののその戦いぶりが多くの有色人種を勇気づけ、その後妹セリーナと共にテニス史に残る数々の偉業を成し遂げていくことになります。
気になる点
非常に感動的な物語ではありましたが、やはりいくつか気にある点はあります。
まず、ウィル・スミスのパンツが短すぎます。は冗談です。「アカデミー賞受賞確実」です。
リチャードに関して
リチャードに関して言えば、本人のちょっとヤバい部分がオミットされているという点でしょうか。
彼の子供たちについては、妻が一応セリフで述べますが本当に一瞬でした。
我々観客はビーナスとセレーナ以外は妻の子供であるということが後半で初めて示されます。
それはいいとしても、リチャードは前妻との間にも子供がおり、そちらはほったらかしているという事実がさらっと暴露されます。
ただ、聞いたときは「オイオイオイ」と思いますが、完全なオミットではなく一応提示されているだけマシかもしれませんね。
次に、彼らが暮らすコンプトンについてです。
先ほどはこの映画に乗っかってコンプトンから出るために頑張ったという話をしましたが、実際はコンプトンで暮らすというのも計画の一部で、娘たちの闘争心を育てるためにわざわざ引っ越してきたということです。
モハメド・アリやマルコムXの出自を参考にしたそうです。
ここに関しては、物語がドラマティックになるよう完全にオミットされていました。
ただ、やはりここまでしなければ彼女たちのあそこまでの成功はなかったのかもしれません。
この辺りについては、最初に述べた「伝記」というよりは「自叙伝」だよねという前提や、あくまで劇映画であることを踏まえて鑑賞することが必要でしょう。
あとは「リチャードが自分の思い上がりを自覚して成長する」までがちょっと長い印象があります。
キッチンでの妻との会話シーンで、ようやくリチャードはこの計画が娘たちのためではなくリチャード自身のためになってしまっているということに気付いていますが、観客の多くは娘が生まれる前に計画書を完成させてる時点で気付いています。
映画の結構後半のこのシーンまで、観客がずっとモヤモヤを抱えることになるのはちょっと気になる点かもしれません。
白人テニスプレーヤーたち
最も気になったのは、白人テニスプレーヤーの描写ではないでしょうか。
ちょっと悪意が強すぎる気がします。
全員ではなかったですが負けそうになるとほとんどの人がブチ切れて、ラケットに八つ当たりして、一部は不正まで働きます。
テニスファンではない私からすると、確かにテニス選手ってすぐブチ切れてラケットぶっ壊してるイメージありますけど、でも現実では「セリーナもラケットぶっ壊してますやん」って話なので若干恣意的なのは否定できないと思います。
現実がすごすぎて参考にならない
これは実際にあったことなので仕方のないことだし、映画からすれば「知るか」って話なんですが、すごすぎて参考になりません。
なによりまずは、リチャードの計画通り訓練すれば誰でもグランドスラムを達成できるわけでは当然なく、やはりそれはビーナスとセリーナの突き抜けた才能あっての成功だということです。
また、無料でコーチを引き受けたポール・コーエンや試合に出さないままコーチを続けたリック・メイシーとの出会いという運の要素も多分にあります。
そもそもこの娘たちがテニスを好きだった時点でラッキーですよね。
まず彼女たち自身がテニスを好きでないと、いくら綿密な計画で無理やりテニスをやらせても一流プレーヤーにはなり得なかったと思います。
なので自分がこの物語を見て勇気付けられるにはちょっとサクセスストーリーがレベル高すぎました。
おわりに
自分は特にテニスファンではないので、ウィリアムズ姉妹が「なんかめちゃくちゃ強い」っていうのは印象として持っていたのですが、本作がある程度意図的にドラマティックな脚色がされているとはいえ、正直言ってここまでの情熱や、テニスに対する思いだけではなく「全黒人女性を代表して戦う」というような思いも抱えてプレーしていたということまでは知りませんでした。
それを考えると、大坂なおみ選手の世界中での人気というのも今まで以上によくわかるし、全盛期でないとはいえセレーナ・ウィリアムズに勝ったのって、すごかったんだな…
おわり
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